テキスト内容 | 小田とは、『和名抄』に見える陸奥国小田郡五郷の一つであり、現在の宮城県遠田郡涌谷町付近にあたる。749(天平21)年4月甲午朔公布の聖武天皇詔(『続日本紀』宣命第12詔)に、陸奥の国守である百済王敬福が部内の少田郡に黄金が出たと申し献じてきた、とあるその地である。当時、東大寺の盧舎那仏造立ための金が大量に不足していたのだが、同年2月、陸奥国の当地から突如、金が産出する。その知らせに、聖武天皇は大いに喜び、仏像に北面して、叙位や大赦に関わる詔(第13詔)と合わせて上記の詔を発したのであった。同年の閏五月甲辰(11日)条には、金を出した山の神主である小田郡日下部深淵に関する昇位の記事も確認できる。大伴家持は、上記の聖武天皇詔(第12詔)をふまえて、「陸奥国に金を出す詔書を賀く歌一首并せて短歌」(18-4094~97)を作り、その中で、「鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 金ありと 申したまへれ」とこの地を詠んでいる。この小田の地には産金に因んで、「小田郡一座黄金山神社」(『延喜式』神名帳)が建立されたが、天正年間に野火で焼失した。現存の「黄金山神社」は、天保から明治にかけて再建されたものである。内藤政恒「天平産金私考」『南都仏教』2。扇畑忠雄「黄金山考」『国文学』1-3。 |
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