テキスト内容 | 地名の難波(なにわ)ににかかる詞。「おしてる」は万葉集に10例、終助詞がついた5音の「おしてるや」は万葉集4例・記1例(54仁徳天皇)・紀1例(48仁徳天皇)ある。オシは接頭語で強く~する意。かかり方は、難波津から船が押し出る意(『詞林采要抄』)など諸説あるが未詳。ただし、「月おし照れり(月押照有)」(8-1480)と、我が家に月が一面に照っているといった表現があるので、単純に難波の海が照り輝く状態を讃美したものとする説が有力。天平時代にはすでに原義がたどれなくなっていたらしく、奈良と難波を結ぶ日下(くさか)の直(ただ)越えの際に、「おしてるや難波の海と名付けけらしも(名付けられたのだなあ)」(6-977)とよんだ歌がある。峠で眼下に眺望できる難波の海の光景を目の当たりにし、「おしてるや」という枕詞の由来を実感したことがよまれており、当時のこの枕詞に対する一般的な解釈の表れとして捉えられる。難波は摂津国の一部にすぎないが、西国・海外へ通じる重要港のある要所で、応神天皇・仁徳天皇・孝徳天皇など古来より宮が構えられ、行幸も度々行われた地であり、万葉集でも「難波の国(くに)」(3-443・6-928)と重んじて呼ばれている。そうした讃美してしかるべき対象を光り輝く存在として修辞することは、宮讃(ほ)め(「朝日の日照る宮」記100)や皇子讃美(「高照らす日の皇子」1-50)などにもみられる一般的・普遍的な宗教的言語表現である。万葉後期の歌人大伴家持は、難波宮の讃歌の長歌冒頭で「遠い天皇の御代にもおしてる難波の国に」(20-4360)とうたい、反歌では「難波の海おしてる宮に」(20-4361)と難波宮自体の修飾に「おしてる」を用いて、歌の儀礼的な讃歌性をきわだたせている。 |
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