テキスト内容 | ①奥まった所・果て、②心の奥、③将来・行く末。空間的には①・②の意味で、時間的には③の意味で用いられる。③の例は万葉集の恋歌に多く見られ、恋情にかかわって、将来についての予測を内容とする例に「奥もかなしも」(14-3403)、「奥もいかにあらめ」(4-659)があり、同様に不安を内容とする例に「奥をなかねそ」(14-3410)、「奥をかぬかぬ」(14-3487)がある。「奥まく」(11-2439)、「奥まふ」(6-1024、1025、11-2728)も将来を期待する意とされるが、これらは心の奥に秘めての意とも解され、その場合は②の例となる。時間に関しては、遅咲きの植物種をさす「奥手(おくて)」(8-1548)の語も見られる。また、空間的な意味合いでは、「奥」に場所を示す接尾語の「か」が添えられた「奥か」の語が旅の歌を中心に一類をなす。「国の奥か」(5-886)で国土の果て、辺境を意味する一方、「奥か(も)知らず」(12-3030、17-3896、3897)、「奥かも知らに」(13-3272)、「奥かなく」(12-3150)、「奥かをなみ」(13-3324)で、定めなく果てのないさまが示される。それらは恋情・不安・嘆きの情と連動して、その激しさや深まりを示すものともなる。これらの「奥か」は、おおよそ①の範疇でとらえられる。また、「奥床(おくとこ)」(13-3312)、「奥の手」(9-1766)、「奥山」(3-299など)も同じ範疇の語で、「奥床」は家の出入り口に近い「外床(とどこ)」と対をなし、「外床」には父が、「奥床」には母が寝ることが表現される。また、「奥の手」は「左手の我が奥の手」と表現され、左手をさす。これらの語からは「奥」が特別視されたことが知られるが、「奥山」も万葉集には15首にうたわれ、その内の3首では「奥山の」が「真木」にかかる枕詞として用いられている(11-2519など)。「真木」は杉・檜・松など大木となる立派な樹木をさす。それらは万葉歌に神木としてもうたわれる。また、巻3の大伴坂上郎女の「神を祭る歌」では、「奥山のさかきの枝」(379)が神の依代としてうたわれ、「奥山の岩」(3-397など5首)やそこに生える「菅(すげ)」も類型的にうたわれる。菅も神事にかかわる植物(3-420など)であり、「奥山」は神々にかかわる清浄な空間として認識されていたことが知られる。また、②に関しては、袖を振って舞う女性について「玉くしげ奥に思ふを」(3-376)と詠んだ例が見られる。「奥に思ふ」は心から大切に思う意、「玉くしげ」はこれに冠された枕詞であり、一般に、櫛を入れる箱である「玉くしげ」を大事に思う意でかかるとされる。ただし、櫛は女性の形見の品として霊魂(タマ)の宿るものであり、美称として「玉」の語が冠されるのもその点に基因する。「くしげ」が霊魂の宿るものであるところに、身体の「奥」とのつながりも生まれるのであり、②の用法は自身の心、またそこに宿る霊魂とのかかわりを意識してのものとみられる。「奥妻」(17-3978)が大切に思う妻を意味するのも、妻が自身の霊魂と強く結びついた存在だからであろう。「奥山」や「奥に思ふ」の例からは、「奥」には神霊や霊魂が宿るという思考をみることができる。御霊を祭る墓が「奥つ」(3-431など)と呼ばれるのも、こうした「奥」の思想にかかわってのことと考えられる。 |
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