テキスト内容 | 沖つ島は、海や湖の、岸から遠く、奥の方にある島。沖は、海神が占有支配する領域である。したがって、単に沖にある島を指すのではなく、神の坐す島の意がこもる。万葉集に「やすみしし わご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島…(中略)…神代より 然そ貴き 玉津島山」(6-917)とみえる。この沖つ島は、玉津島で玉津島神社がある。島山は、遠望で島を山に見たてた言い方といわれるが、玉津島には鏡山がある。ただ、玉つ島は、海の遠い沖にある島ではない。岸から近くにある。それを沖つ島というのは、聖武天皇の雑賀野の離宮から遠くに見える意と考えられる。6-918の「沖つ島」も同じ島である。「近江の 沖津島山 奥まけて 我が思う妹が 言の繁く」(11-2439)は、湖の沖つ島である。ただし、奥を起こす序となっており、類歌に11-2728がある。この場合でも、神の坐す島をさす。「多紀理毘売命は、胸形の奥津宮に坐す」(神代記)とあり、沖ノ島に多紀理毘売命が神として坐す奥津宮がある。神の坐す島をさして、「沖つ御神」ともいう。「珠州の海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鮑玉」(18-4101)とあり、また、反歌に「沖つ島い行き渡りて潜くちふ鮑玉もが包みて遣らむ」(18-4103)から、神そのものではなく、島をさすと考えられる。これらの歌の沖つ島は、輪島の北方にある七ッ島や舳倉島をさす。七ッ島には、式内社辺津比売神社があり、舳倉島には、式内社奥津比咩神社がある。沖つ島には、沖を占有し、支配する沖つ神がいると考えられていた。海を領する神には、記には、深さによって、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神がある。海原の神は建速須佐之男命で、うけいによって生まれた神は奥津島比売命(多紀理毘売命)、市寸島比売命(狭依毘売命)、多岐都比売命で胸形三神をなす。岸からの距離の遠さによって名づけられ、その海域を領する海神である。 |
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