テキスト内容 | ①神の社。②皇居、宮殿。③曲名。「おほ」は敬意・称賛の意を添える接頭語。宮は御屋(みや)の義。①は神社を敬っていう。その地域や神域において特に格の高い社にいう。また、それから神社名に転じたものも多い。欽明紀11年7月には「詔して曰はく、『今年、大宮及び大寺を造作らしむ』とのたまふ」とあり、春日大宮などがそれである。②は天皇の御所を尊んでいう。皇居、内裏。また天皇に準ずる人の御所、宮殿。「意富美夜(おほみや)のをとつはたで隅傾けり」(記歌謡・105)「山林を披き払ひ、宮室(おほみや)を経営(をさめつくり)て」(神武即位前紀)とある。類句としては=仕・=所・=人などがある。おほみやつかえ(大宮仕)は宮廷に奉仕すること。ツカヘはツカフの名詞形。「大宮都加倍」(1-53)「大宮都可倍」(13-3234)がある。おほみやところ〔大宮所・大宮地〕は大宮の地。皇居のあるところ。『新全集』は「大宮所、または宮所の語が、正式の皇都ないしその所在地を表したと見るべき確例はない。かつて宮殿があった跡、宮都が営まれる予定地、あるいは目下、造営作業が進められている段階の未完成の新都に限って用いられている。」(6-921頭注)と指摘する。おほみやひと〔大宮人〕は大宮人。宮廷に仕える人。王卿百官の人々。男女ともにいう。③は神楽歌の曲名で、小前張に属する。「おほみや(=宮廷)のちひさ小舎人」とある。「小前張…(中略)…殖舂、角総(あげまき)、大宮」(体源抄・10上)とも見える。また、催馬楽の曲名で呂の曲、拍子は十。「おほみやの西の小路(こむじ)に漢女(あやめ)子産(む)だり」とある。「両家(=藤家ト源家)共に絶えたる哥…(中略)…呂、河口、大宮(おほみや)」(体源抄・10中)とも見える。 |
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