テキスト内容 | 「かからむの懐知りせば大御船泊てし泊に標縄結はましを」(2-151)と用いられ、題詞に「天皇の大殯の時の歌二首」とある。「天皇の大殯の時」という特別な状況をも重ねて、「大御船」の「大」も「御」も天皇への深い敬意につながる。また「標縄結はましを」とあり、天皇の御船の泊まった船着き場に、注連縄を張って病魔等の入ってこないようにしておいたらよかったのに、という。「やすみししわご大王の大御船待ちか恋ふらむ志賀の辛崎」(2-152)は、志賀の辛崎を擬人化し、大御船を待ち慕っている、とした。天智天皇の大殯に関連させ、生前の行為としての船遊覧を想起させる。また「大御船泊ててさもらふ高島の三尾の勝野の渚し思ほゆ」(7-1171)も「船」と「泊」と「渚」が詠み込まれ、天皇の「御船」を歌うものであった。さて、ここで船が問題となる。船を語彙に取り込んだ古代語は多い。「船師(ふないくさ)」「船飾り」「船木」「船競う」「船子」「船瀬」「発船」「船棚」「船出」「船舳」「船とも」「船橋」「船人」「船装」「船舵・櫂」等々。この夥しさは、その対象としての船に強く視線が注がれていたことを示すもので、古代社会の移動運搬の手段として、特に水上(海・川)にかかって象徴的なものだったことを示している。さらにその象徴性は、信仰的な要素、ことに他界観念との関わりを深くしているようである。とりわけ船形棺などの考古遺物の検証を踏まえ、当該歌のごとく葬送との脈絡を求める時、そこには興味深い視界が開けてくる。すなわち、「霊魂が船に乗って冥界へと運ばれてゆくという他界観や、葬喪に関する観念を表現したもの」と見る観点だ。「冥界が水平線の彼方にあるとされ、船葬の事例はその観念がより具体的な形をとって現れたもの」(辰巳和弘『埴輪と絵画の古代学』)と理解するものである。 |
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