テキスト内容 | オホミは、美称・尊称のオホとミを重ねた接頭語で、神、天皇に関する事物等に用い、最大級の敬意を表す。オホミカミは最も尊い神をいう。万葉集中、2首、4例。2首共に733(天平5)年の遣唐使に際して制作された歌。山上憶良が遣唐大使多治比広成(たぢひのひろなり)に献じた歌には、「諸(もろもろ)の大御神たち…天地(あめつち)の大御神たち…また更に大御神たち」(5-894)と3例見える。海原に鎮座して支配するもろもろの大御神たちと、天神地祇たる天地の大御神たち、そして先の海の神である大御神たちを再掲する。船を唐国へ、そしてわが国へと導く大御神たちとは航海神である住吉の神などを指す。注意されるのは大御神たちに対して「導きまをし」とあることで、渡唐の勅命をいただく大使を神々の上位に置く。大御神たちを天皇に奉仕するべきものとしていうのだろう。他の1例は入唐使に贈る歌(19-4245)で、「住吉(すみのえ)の御津(みつ)に船乗り」、唐国に遣わされる我が君を、「住吉の我が大御神」よ、無事に導いて帰国させて下さい、とうたう。同様に「住吉の現人神(あらひとがみ)」に航海の安全と早急な帰国を願う歌(6-1020・1021)があることから、住吉の神に平安を祈る先行の詞章があり、19-4245などはそれをもとに制作されたものではないかという。ところで、万葉集中の大御神と大神(19-4264)の用例の全てが遣唐使に関わることは、神々をたたえることで航海の安全と無事の帰朝を願う呪的な意味があったのであろう。なお、大神(大御神)の用例は記・紀、風土記等にも見えるが、そう記すべき配慮が窺えるという。例えば、記上巻には原則として天照大御神とし、中巻には天照大神と記すのは、上巻で天照大御神を最高神として位置づけるためだという。また、国土創成の神である伊耶那岐(いざなき)(は記では、伊耶那岐神・-命(みこと)・-大神・-大御神、と種々の呼び方がなされるが、記の文脈に応じてそれぞれに必然性があるのだという。 |
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