おおくめぬし

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名おおくめぬし;おほくめぬし;大久米主
+項目名(旧かな)おほくめぬし
+表記大久米主
TitleOkumenushi
テキスト内容①記には大伴氏の先祖を天孫降臨の際の先導者天忍日命「此は大伴連等の祖」と天津久米命「此は久米直等の祖」の二人名が見え、神武記の東遷の際には大伴連等の祖、道臣命と久米直等の祖大久米命などの名が見える。また、神代紀下第九段一書第四に「大伴連の遠祖天忍日命、来目部の遠祖天槵津大来目を帥ゐて」とあり、神武紀元年の条に「大伴氏の遠祖道臣命、大来目部を帥ゐて」とある。この記紀の記述を基にして②大伴氏の先祖として大久米主の名は見えないが、神武紀の道臣命が大久米主であろうとして大伴氏が率いていた大久米部の首長を大久米主と言ったという説や大久米部の主の意として記紀の伝承を背景として、大伴氏との関わりを意識したもので、大伴氏の祖としたものとするものがある。また、大伴氏との関係に論究せず大来目を統帥したのが大来目主であろう、と言うものなどがある。これらの説は記紀の伝承との関係を意識し解釈するものがある。大伴氏と久米部の関係については紀では大伴氏が久米部を率いるという上下関係を意識しているのに対して、記の所伝では大伴氏と久米部が対等な関係として位置づけられている。この大伴氏と久米部の関係については直木孝次郎の『日本古代兵制史の研究』に詳しい。これら記紀の記述と重ね合わせて解釈するものは『略解』や『古義』以来、『大系』や『沢瀉注釈』に引き継がれている。しかし、古くは『全集』には記紀の伝承に添いながらも大久米主という名もなかったとはいえないと言い、近年の『新大系』では記紀に見えない大久米主を記紀とは別の固有の伝承があったものかとしている。また、『全注』にも記紀の記述を踏まえた上で、大久米主はさような伝承から大伴氏の祖を呼んだもので、当時行われていた称であろうとしている。『新全集』では大久米命が大伴氏の祖神化した可能性を示唆している。このように大久米主の解釈は記紀の記述との関係を論ずる形で展開してきた。20-4465も基本的には①と②の解釈の範囲で行われている。さて、大久米主の「主」という語については長官・総帥・統率者の意としているが、記に見られる「主」が冠されている神名に関連が求められるのではないかと考えられる。先ず、天地初発の時の天之御中主神は信仰対象としての存在ではなく、新たに作られた観念的な神に「主」が冠されている。大国主神は国譲りの神として登場し、別伝承を統合する神として機能する。また、紀の本文にはこの名は見えない。次の事代主神は大国主神の国譲りの言葉を述べる神である。御言持ちの神なのである。敷山主神も紀には見えない大国主神の系譜の段に見られる神である。甕主日子神も大国主神に連なる神である。これらの「主」を名に冠される神の性格から記紀神話の国家形成や統合の先導者として御言持ちの神として位置づけられているように思われる。これらの神話的性格を踏まえて家持は大久米主の御言持ちとしての性格を意識して詠み込んだ可能性があると思われる。直木孝次郎『日本古代兵制史の研究』(吉川弘文館)。
+執筆者吉田比呂子
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID31788
-68352402009/07/06hoshino.seiji00DSG000178おおくめぬし;おほくめぬし;大久米主Okumenushi①記には大伴氏の先祖を天孫降臨の際の先導者天忍日命「此は大伴連等の祖」と天津久米命「此は久米直等の祖」の二人名が見え、神武記の東遷の際には大伴連等の祖、道臣命と久米直等の祖大久米命などの名が見える。また、神代紀下第九段一書第四に「大伴連の遠祖天忍日命、来目部の遠祖天槵津大来目を帥ゐて」とあり、神武紀元年の条に「大伴氏の遠祖道臣命、大来目部を帥ゐて」とある。この記紀の記述を基にして②大伴氏の先祖として大久米主の名は見えないが、神武紀の道臣命が大久米主であろうとして大伴氏が率いていた大久米部の首長を大久米主と言ったという説や大久米部の主の意として記紀の伝承を背景として、大伴氏との関わりを意識したもので、大伴氏の祖としたものとするものがある。また、大伴氏との関係に論究せず大来目を統帥したのが大来目主であろう、と言うものなどがある。これらの説は記紀の伝承との関係を意識し解釈するものがある。大伴氏と久米部の関係については紀では大伴氏が久米部を率いるという上下関係を意識しているのに対して、記の所伝では大伴氏と久米部が対等な関係として位置づけられている。この大伴氏と久米部の関係については直木孝次郎の『日本古代兵制史の研究』に詳しい。これら記紀の記述と重ね合わせて解釈するものは『略解』や『古義』以来、『大系』や『沢瀉注釈』に引き継がれている。しかし、古くは『全集』には記紀の伝承に添いながらも大久米主という名もなかったとはいえないと言い、近年の『新大系』では記紀に見えない大久米主を記紀とは別の固有の伝承があったものかとしている。また、『全注』にも記紀の記述を踏まえた上で、大久米主はさような伝承から大伴氏の祖を呼んだもので、当時行われていた称であろうとしている。『新全集』では大久米命が大伴氏の祖神化した可能性を示唆している。このように大久米主の解釈は記紀の記述との関係を論ずる形で展開してきた。20-4465も基本的には①と②の解釈の範囲で行われている。さて、大久米主の「主」という語については長官・総帥・統率者の意としているが、記に見られる「主」が冠されている神名に関連が求められるのではないかと考えられる。先ず、天地初発の時の天之御中主神は信仰対象としての存在ではなく、新たに作られた観念的な神に「主」が冠されている。大国主神は国譲りの神として登場し、別伝承を統合する神として機能する。また、紀の本文にはこの名は見えない。次の事代主神は大国主神の国譲りの言葉を述べる神である。御言持ちの神なのである。敷山主神も紀には見えない大国主神の系譜の段に見られる神である。甕主日子神も大国主神に連なる神である。これらの「主」を名に冠される神の性格から記紀神話の国家形成や統合の先導者として御言持ちの神として位置づけられているように思われる。これらの神話的性格を踏まえて家持は大久米主の御言持ちとしての性格を意識して詠み込んだ可能性があると思われる。直木孝次郎『日本古代兵制史の研究』(吉川弘文館)。179おおくめぬしおほくめぬし大久米主吉田比呂子お1

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