テキスト内容 | オホは偉大さや特別に尊いことを表す接頭語。格別にすぐれた神をいう。万葉集中1例。孝謙女帝が高麗福信(こまのふくしん)を難波(なには)に遣わして、遣唐大使藤原清河(ふじわらのきよかわ)(752年に入唐)に酒肴を下賜したときの「御歌」に、「そらみつ 日本(やまと)の国は…(中略)…大神の 斎(いは)へる国ぞ」(19-4264)と見え、日本の国は、大神が慎み守りたまう国であるぞ、の意。1首はその後、遣唐使船が船の舳先を並べ、つつがなく早く唐国へ渡り、帰国して復命を奏上する日に共に飲むための酒であるぞ。このすばらしい酒は、と続く。大神の守護により船が安らかに渡海することをいうが、この大神がいずれの神を指すかは不明で、もろもろの神をさすとする説のほか、皇祖神をいうとする説もある。ただし、733(天平5)年の入唐使に贈られた歌に、「住吉(すみのえ)の我が大御神(おほみかみ)」よ、船の舳先に鎮座ましまし、船の艫にお立ちになって、無事に帰朝させて下さい、とうたうもの(19-4245)があり、住吉の神に遣唐使の無事が願われている。遣唐使船の舳先には住吉の神を祭る社殿が設けられ、船の安全が祈念された。また、難波の住吉の津は遣唐使一行と別れを惜しみ、帰還を待つ港でもあり、19-4264の大神も住吉の神を中心とする神々であろう。記・紀にも「住吉大神」(神代紀)、「墨江之三前大神(すみのえのみまへのおほかみ)」(記)と見える。住吉の神を19-4245では「大御神」とするが、万葉集中の大御神の用例(4例)すべてが遣唐使に関する歌に用いられる。大御神が3例と多出する山上憶良の「好去好来歌」(5-894)には「言霊(ことだま)信仰」がうたわれているが、遣唐使を守護する神々を、大神や大御神と尊称を付してたたえることで、神の霊威が十全に発揮されることが願われたのであろう。なお、4264と類似する歌に、聖武天皇が節度使らに酒を賜い、労をねぎらう「御歌」(6-973)があるが、いずれも天皇の実作ではなく、こうした儀礼に際して詠まれる寿歌の様式をふまえて制作されたものと見られる。 |
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