テキスト内容 | 日本を取り巻く海、太平洋や日本海は果しない。海辺には彼方から日常世界で目にしない物を様々に運びくる。伊良湖埼で椰子の実に出会った柳田国男は日本人は海彼から宝貝を追ってやってきたと考え、海の道を想定するとともに、古代人が海の彼方に想定した異世界についても思をめぐらせた。記紀神話は海彼の国、常世国や海底の海神国を語る海の彼方からやってきた大物主神の元いた場所などいずれも漠然としているものの、古代人が海やその彼方に神の国などさまざまな異界を思い描いていたことを伝える。万葉集の表現も海そのものは海神の支配する世界として理解されていたことを語る。斉明7年正月の海の夕景を詠んだ有名な歌、中大兄の三山歌の反歌には「海神の豊旗雲」(1-15)が詠み込まれている。遣唐使三野連のために春日蔵首老が無事を祈った歌「ありねよし対馬の渡り海中に幣取り向けて早帰り来ね」(1-62)、羇旅歌「海若は 霊しきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻らし 居待月 明石の門ゆは 夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干しむる 潮騷の 波を恐み 淡路島 磯隠りゐて」(3-388)など、他にも海神の力が遍満し、様々な現象を引き起こしているとの信仰を基底において海を詠んだ歌がみえる。海神を歌わない歌も、触れるか触れないかはともかく、海の現象にはその力の働きを感じて歌っているといってよかろう。記・紀では三貴子誕生後に、須佐之男命が海原を治めるように命じられたが、彼は妣が国根之堅州国に行くことを願ってこれを拒否して去る。しかし、すでに神生みの段で海神、禊祓の段で上中下の綿津神三神が生まれたとしていた。この時には航海の神住吉三神も生まれている。海はワタツミなどここに住む神がいるとするのである。ただ山幸彦の綿津見宮訪問譚の綿津見宮・海神宮が海の彼方、海底のいずれにあったとみるか理解は揺れる。もとより万葉集に歌われる海神が記紀のいう海神・綿津見神と直結するかどうかも明確でないが、海には海神がいるとの信仰に支えられて詠まれているといってよい。海は人間の極め尽くし得ない広大さと神秘性を保つ世界として神話にも万葉歌にも描かれたのである。柳田国男『海上の道』『柳田国男全集 第1巻』筑摩書房。 |
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