テキスト内容 | 海の境界の意で、現実の世界と常世との境界を指す。「水江の浦島子を詠む一首」に「水江の 浦島子が 鰹釣り 鯛釣り誇り 七日まで 家にも来ずて 海界を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の娘子に たまさかに い漕ぎ向かひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り 海神の 神の宮の 内の重の 妙なる殿に 携はり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを」(9-1740)と歌う。「水江の浦島子」という漁師が7日間家を離れて、海坂を過ぎて舟を漕いで行くと、海神の神女に偶然出会い、意気投合して契りを結び、常世の国に至り、海神の宮殿で二人仲良く不老不死で永遠に生きていられたのに、という意である。この歌では、海坂は人間界と常世の国(海神の宮殿)の間にある境界を示している。その常世の国は、不老不死の国として描かれている。ここでの海とは、海神の支配する領域を指す。その海のかなたに常世の国があると考えられており、厳密に言えば海と常世とは同一の領域を指すわけではない。この世界観を考える上で、記の「海坂」の用例は重要である。すなわち、火遠理命(山佐知毘古)が無くした釣り針を探しに海神の宮に行き、そこで海神の女、豊玉毘売と出会い結婚する。釣り針を得た火遠理命は「上つ国」(葦原中国)に還るが、子を宿した豊玉毘売が出産のために夫のいる国へ行く。出産に当たってその姿を見るなと妻は言ったが、夫は姿を窺い見てしまう。妻(豊玉毘売)は、「私は、普段は海の道を通って行き来しようと思っていたが、あなたが私の姿を覗き見たことはたいへん恥ずかしい」と言って、海坂を塞いで自分の国に還っていった、という話である。海の道が葦原中国と海神国を繋いでおり、その境界が「海坂」である。異界を成り立たせる神話的機能を「海坂」がもっていることが重要であろう。 |
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