テキスト内容 | 菟原に住んでいた男性。菟原は摂津国莵原、現在の兵庫県芦屋市あたり。2人の男が1人の女を恋し、女が死し、墓が作られたといういわゆる「処女墓」の歌に登場する男の1人で、「菟原処女(うなひをとめ)」に恋をし「千沼壮士(ちぬをとこ)」と争った。高橋虫麻呂歌集(「見菟原処女墓歌一首」9-1809~11)と大伴家持「追同処女墓歌一首」(19-4211~12)に「宇奈比壮士」という表記で2例見られる。虫麻呂歌集長歌では、娘は、この世では結ばれないと自死する。夢でそれを知った千沼壮士は、後を追い、それを知った菟原壮士も負けてはいられないと後追いをする(9-1809)。反歌では、「墓の上の木(こ)の枝(え)なびけり聞きしごと千沼壮士にし依りにけらしも」(9-1810)のように、噂通りに千沼壮士の方に心をよせていたと推量している。田辺福麻呂歌集(「過葦屋処女墓時作歌一首」9-1801~2)にもこのことは詠まれる。「古(いにしへ)の小竹田壮士(しのだをとこ)の妻問ひし菟原処女の奥つ城(き)ぞこれ」(9-1082)とある。「小竹田壮士」は千沼壮士をさし、この「妻問ひ」は、結婚の意味であるという説が、近年有力になっている。つまり、千沼壮士とは結ばれていたことになる。千沼は地名で、和泉国一帯(現代の大阪府南西部)を指す。菟原処女は、村内の菟原壮士よりも、村外の千沼壮士を恋し、或いは結ばれていたことになる。これは、村外婚の禁忌を語るもので、共同体の秩序が語を語り継ぐ「神謡」であるという説がある。文化人類学的には、村外婚による女性の確保と、共同内での女の確保としての村内婚と、2種類の婚姻規制があり、これは、村外婚の禁忌を語るものという考えである。関口裕子『処女墓伝説歌考』(吉川弘文館)。古橋信孝『万葉集を読みなおす』(NHKブックス)。 |
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