テキスト内容 | 岩でできた戸。万葉集には、①高天原の出入り口にある岩戸、②墳墓の羨道の出入り口に立てられた岩戸、の2種の用例がある。①の用例については、万葉集中において、「日並皇子尊の殯宮の時に柿本朝臣人麻呂が作る歌一首」(2‐167)の1例を確認することができる。この歌において岩戸は「天の原 石門を開き(石門乎開) 神上り 上りいましぬ 我が大君」と表現される。紀(巻2・天孫降臨章・第四の一書)には、「高皇産霊尊、真床覆衾を以ちて、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊に裹せまつり、則ち天磐戸を引開け、天八重雲を排分けて、降し奉る。」とある。この第四の一書の記述から判断すると、古代の人々は天上世界の出入り口には岩戸があり、天上世界への出入りには、その岩戸を開けなければならないと考えていたものと理解できる。瓊瓊杵尊はその岩戸を引き開けて降臨したことになる。先の人麻呂歌の表現は、日並皇子尊が死に、岩戸を開いて墳墓に葬られることを、岩戸を開いて天に上ると表現することで、日並皇子尊の死を神話的に表現したものであろう。②については、「河内王を豊前国鏡山に葬りし時に手持女王の作る歌三首」(3-418、419)に「豊国の 鏡の山の 岩戸立て(石戸立) 隠りにけらし」(3-418)、「岩戸割る(岩戸破) 手力もがも 手弱き」(3-419)などの表現がある。これらの歌での岩戸は、墳墓の羨道の出入り口に立てられた岩の戸のことを指す。また、ここでの岩戸には、死者の世界と現世の境とを隔絶する機能があるものと考えられる。記紀の伊耶那岐・伊耶那美神話には、黄泉国との境を隔てる存在として「千引の岩」(記・上巻)、「千人所引の磐石」(紀・巻1・四神出生章・第六の一書)が登場する。手持女王は、河内王が自身で岩戸を立てて墳墓にこもったと表現することで、河内王の死を神話的に表現したものであろう。 |
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