テキスト内容 | 石城に隠れる意で、貴人の死去することをいう。万葉集では柿本人麻呂作の高市皇子挽歌(2-199)に見られる。歌の冒頭で高市皇子の父、天武天皇の事跡を説くところで、その崩御の様を描く際に、天武天皇が神として岩隠れなさったと表現する。同じ柿本人麻呂の日並皇子挽歌(2-167)には、やはり父天武天皇崩御に関する描写があり、そこでは天の原の岩戸を開いて天に登っていらっしゃったと表現している。いずれの場合も皇祖降臨の記述を含むものゆえ、人麻呂歌では、天武天皇に限定された表現として、天上世界の入り口に天の岩戸があり、その岩戸の向こうの世界に隠れるという姿を描いているようである。鎮火祭の祝詞では、火結神を生んだイザナミの命が、岩隠りなさって地下の国を統治しようとしているので、方向が逆になっている。記紀の黄泉国神話では、葦原中国との境界のヨモツヒラサカに千引の石を置いている。死の忌避表現は、「雲隠る」(3-416)、「島隠る」(15-3692)などのように見えなくなる、若しくは世界を移動すると捉える点では共通するが、そこに岩が介在する場合、それぞれの神話の世界観が具体的に反映しているようである。 |
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