いやひこ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名いやひこ;弥彦
+項目名(旧かな)
+表記弥彦
TitleIyahiko
テキスト内容神名。巻16の「越中国歌四首」と題する中に「いやひこ おのれ神さび」(16-3883)「いやひこ 神のふもとに」(16-3884、万葉集中唯一の仏足石歌体である)と詠まれ、神の名と知られる。本来「ますます盛んなる男神」の意であろう。新潟県西蒲原郡弥彦村に彌彦神社があり(JR弥彦線、弥彦駅下車徒歩15分)、背後の弥彦山(標高638m)をご神体とする。この神社は『延喜式』神名帳の越後国蒲原郡項に「伊夜比古神社」と見え、古くから越の国の神として祭られていたことがわかる。702(大宝2)年3月17日付で越中国から四郡が越後国に管轄を移されており(『続日本紀』)、題詞と神社の所在地とのズレはそこに由来するらしい。すなわち当該2首を含む4首は大宝2年以前に作られ仕組まれたということになる。3883番歌では「青雲のたなびく日すら小雨そほ降る」と晴れても雨がふるというように神々しさを詠うが、ご神体の弥彦山は北の多宝山(標高634m)と二上山(ふたがみやま)の形状をとり、さら北には角田山(標高482m)、南には国上山(標高313m)を連ね、山塊として晴れれば佐渡島からも見える。日本海航行のアテ山としても信仰されたであろう。3884番歌はその麓に「今日らもか鹿の伏すらむ 皮衣着て角つきながら」と詠う。神獣の描写らしくあるが、乞食(ほかひびと)人の装束と考えれば芸能を奉納する神事が存在したとも考えられる(『釈注』)。なお、現在の彌彦神社(宗教法人)は「おやひこさま」と呼ばれ、ご祭神を天照大神の曾孫(いやひこ)、天香山命(高倉下命)とし、神武東征の後、越後開拓の勅命をうけ海から上陸し製塩や漁法を教え弥彦に鎮座し農法を広めたと伝える。この縁起譚の話型からは漂着神信仰もうかがえる。ちなみに弥彦に鎮座した天香山命は、孝安天皇元年2月2日に神避ったとか。弥彦山の上には御神廟とよばれる奥宮がある。
+執筆者志水義夫
+参考文献
-68290402009/07/06hoshino.seiji00DSG000116いやひこ;弥彦Iyahiko神名。巻16の「越中国歌四首」と題する中に「いやひこ おのれ神さび」(16-3883)「いやひこ 神のふもとに」(16-3884、万葉集中唯一の仏足石歌体である)と詠まれ、神の名と知られる。本来「ますます盛んなる男神」の意であろう。新潟県西蒲原郡弥彦村に彌彦神社があり(JR弥彦線、弥彦駅下車徒歩15分)、背後の弥彦山(標高638m)をご神体とする。この神社は『延喜式』神名帳の越後国蒲原郡項に「伊夜比古神社」と見え、古くから越の国の神として祭られていたことがわかる。702(大宝2)年3月17日付で越中国から四郡が越後国に管轄を移されており(『続日本紀』)、題詞と神社の所在地とのズレはそこに由来するらしい。すなわち当該2首を含む4首は大宝2年以前に作られ仕組まれたということになる。3883番歌では「青雲のたなびく日すら小雨そほ降る」と晴れても雨がふるというように神々しさを詠うが、ご神体の弥彦山は北の多宝山(標高634m)と二上山(ふたがみやま)の形状をとり、さら北には角田山(標高482m)、南には国上山(標高313m)を連ね、山塊として晴れれば佐渡島からも見える。日本海航行のアテ山としても信仰されたであろう。3884番歌はその麓に「今日らもか鹿の伏すらむ 皮衣着て角つきながら」と詠う。神獣の描写らしくあるが、乞食(ほかひびと)人の装束と考えれば芸能を奉納する神事が存在したとも考えられる(『釈注』)。なお、現在の彌彦神社(宗教法人)は「おやひこさま」と呼ばれ、ご祭神を天照大神の曾孫(いやひこ)、天香山命(高倉下命)とし、神武東征の後、越後開拓の勅命をうけ海から上陸し製塩や漁法を教え弥彦に鎮座し農法を広めたと伝える。この縁起譚の話型からは漂着神信仰もうかがえる。ちなみに弥彦に鎮座した天香山命は、孝安天皇元年2月2日に神避ったとか。弥彦山の上には御神廟とよばれる奥宮がある。117いやひこ弥彦志水義夫い1

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