いや

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名いや;弥
+項目名(旧かな)
+表記
TitleIya
テキスト内容英語でいえば、moreのような意味を持つ副詞的な語で、「いや~に」の形で接頭語的に用いられていることが多い。神事語として独立した語ではなく、〈文脈上、神事語的な意味を読み取ることができなくはない語〉である。すなわち祝詞の中に「天皇が朝廷に、いや高にいや広に、茂しやくはえの如く、立ち栄えしめ仕へまつらしめたまへ」(平野の祭、久度・古関)と「もっと~に」と祈念するような文脈で用いられる例があるが、万葉集の用例でも同様に「この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも」(1-36)のような讃歌的文脈で祝詞の「いや」と通じる性格を読み取ることのできる場合がある。しかし、石見相聞歌の「いや遠に里は離りぬ いや高に山も越え来ぬ」(2-131)のように、現実の中でわが身におきた事象に感情を込めて描写する場面に用いられている例もある。たとえば「去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離る」(2-211)のような場合の「いや」に込められた感情は、それが「年離る」(時の流れ)という人事を超越した現象を前にしたものであっても、人事を主体にしたものであるから、この「いや」を神事語として認定できるとはいえないだろう。呪言的意味を持つかどうかは、その歌の表現様式や性格によって個々に判断されなくてはならない。
+執筆者志水義夫
+参考文献
-68289402009/07/06hoshino.seiji00DSG000115いや;弥Iya英語でいえば、moreのような意味を持つ副詞的な語で、「いや~に」の形で接頭語的に用いられていることが多い。神事語として独立した語ではなく、〈文脈上、神事語的な意味を読み取ることができなくはない語〉である。すなわち祝詞の中に「天皇が朝廷に、いや高にいや広に、茂しやくはえの如く、立ち栄えしめ仕へまつらしめたまへ」(平野の祭、久度・古関)と「もっと~に」と祈念するような文脈で用いられる例があるが、万葉集の用例でも同様に「この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも」(1-36)のような讃歌的文脈で祝詞の「いや」と通じる性格を読み取ることのできる場合がある。しかし、石見相聞歌の「いや遠に里は離りぬ いや高に山も越え来ぬ」(2-131)のように、現実の中でわが身におきた事象に感情を込めて描写する場面に用いられている例もある。たとえば「去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離る」(2-211)のような場合の「いや」に込められた感情は、それが「年離る」(時の流れ)という人事を超越した現象を前にしたものであっても、人事を主体にしたものであるから、この「いや」を神事語として認定できるとはいえないだろう。呪言的意味を持つかどうかは、その歌の表現様式や性格によって個々に判断されなくてはならない。116いや弥志水義夫い1

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