テキスト内容 | 祈祷する。祈る。具体的には、心にあることがらを、言語や身体、儀礼等によって、神に示し、神に幸を求める行為をいう。言語であれば、祈りの言葉であり、形式化すれば祝詞となる言語表現。身体で表現すれば、拝や合掌、あるいは号泣などによる身体表現。儀礼であれば、供物の献上、祭祀のための飾り付けなどの儀礼表現となる。実際には、言語表現・身体表現・儀礼表現を複合することによって、祈願内容を神に伝える行為をいう。仮名書き表記としては、「天地の 神を祈(伊乃里)て さつ矢貫き」(20-4374)、「天地の いづれの神を 祈(以乃良)ばか」(20-4392)などの例を確認することができる。「泣沢の 神社(もり)に 神酒据(みわす)ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ」(2-202)の「祈る」は、原文「祈祷」とあり、『全註釈』のように「祈(こ)ひ祷(の)め」と読む可能性も残るが、通説は「祈れども」である。この歌を例に取ると、高市皇子の延命を祈願して、「泣沢の神社」に「神酒」が供えられたことがわかる。「泣沢の神社」は、記にも登場するイザナキノミコトの涙から生まれた神で、「泣き多(さは)」すなわちはなはだしく泣くの意味、ないしは「泣き沢」すなわち水の音が鳴る沢の意味を背負っている。すなわち、ここには泣女の連想があり、湧水を湛える泉の神の連想がある。生命復活の力を泉の神が有していることについては汎世界的信仰があるので、高市皇子の延命の祈願は、泣沢の神社でなされたのであろう。さらに重要なことは「祈祷」ついて「祈(こ)ひ祷(の)む」と訓む可能性があることである。「こひのむ」の「こひ」は乞ふであり、神に対して求め、願う行為をいう。対して、「こひのむ」の「のむ」は、祈ることをいう。したがって、「祈ひ祷む」は、神に幸を強く求めて祈る行為をいうと理解して大過ない。ために、「祈る」ことと「祈ひ祷む」ことはほぼ同義とみて差し支えない。万葉歌の「祈ひ祷む」を見てみると、神に思いを伝える表現を見出すことができる。「木綿畳 手に取り持ちて かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも」(3-380)では木綿を手に持つ儀礼、「片手には 和たへ奉り 平けく ま幸くいませと 天地の 神を祈ひ祷み」(3-443)では「片手」に「和たへ」を持って奉げる儀礼などが行われたことが確認できる。このほか、伏して額づく(5-904)、布施を置く(5-906)、幣を奉る(17-4008)などの儀礼が行われたことも確認できる。 |
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