テキスト内容 | 生命現象の最も基本となる力。「い」は「いき(息)」「いぶき(息吹)」の「い」であり、「の」は接続助詞、「ち」は「おろち(蛇)」「ち(血)」などの「ち」と同じく不思議な生命力を指す。この命が息と同じ現象だと思うことから、それは「短き命」(6-975)「消やすき命」(9-1804)「露の命」(17-3933)のように、短く消え安いものとされた。そのことから命には「うつせみの」や「たまきはる」という枕詞が成立した。「うつせみ」は現実を指し、現実の世の中にある者は、命に限りがあるという考えであり、「たまきはる」は魂が極まるという意味であり、人の魂には極まりがあるという考えである。それゆえに万葉びとは「長き命」(1-24)「いはふ命」(11-2403)「購ふ命」(17-4031)のように、長生を願い命を買い求めることもしたのである。しかし、命には限りあるという現実は払拭できず、「命死ぬ」(4-599)「命過ぎ」(5-886)のように、命は死に過ぎて行くものだと考えた。命が死ぬといい、過ぎるというのは不思議な認識である。命が消え安いというのは息との関係から導かれた認識であろうから理解し安いが、命が死ぬというのは古代日本人の生命観を考える重要な認識語であると思われる。「死ぬ」は漢語の死を動詞化したものと考えられ、生命の消滅(息が絶える)という状態に死という概念を発見したのが「命死ぬ」であろう。命が消えるというのは、息が霧散するように消滅する状態にあることであり、それは死を意味するものではなかった。霧のように消えて行くのが日本人の持った生命観であり、それは魂に重きが置かれた生命観である。それに対して「命死ぬ」は死という現象を現実的に把握することであり、いわば肉体の滅びをもって死を認識した段階の表現だと思われる。 |
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