テキスト内容 | 播磨国東南部に広がる印南地方の海岸線。具体的な場所は不明。加古川下流の島とも。枕詞とする説もある。丹比真人笠麻呂の歌(4-509)に1例。他に「印南つま」(6-942、15-3596)が2例。激しい潮の明石海峡を越えて、家島もしくは室の泊に着くまでの大海を航海する途中で目にする風景である。白波が高く(15-3596)、苦労して通る(4-509)。思い出すのは家郷の妻(942)である。「いなびつま」は「否び妻」を連想させ、逢ってくれない恋人を思い出させる。播磨国風土記には、景行天皇が印南別譲を求婚した際、一旦別譲が天皇を拒否し、ナビツマ島に隠れたという伝説が載る。万葉でも「明日よりは いなむの川」(12-3198)と「明石」と「否び妻」とを連想していると考えられる例がある。そのような伝説を思い出し、かつ大海で心許ない心境のまま「いなびつま」を見る。そこで「いなびつま」を「うらみ(浦廻→恨み)」に続け、妹に別れを告げてこなかったことを後悔する(4-509)。妻が拒否し隠れるのは、神の嫁である女が人間の男と結婚するために、一旦神の元に赴き、神の許可を得る儀礼とされる。沖縄県久高島では島の成人女性の全てが神の嫁であるが、彼女らは結婚する際に、やはり男から逃げて、ウタキ(聖地)に赴く。同様に群馬県では男が場を去り、花嫁が代理婿(神役の男)と杯を交わす。現象としては逆であるが、ともに嫁と神とが出会う場面を作りだしている。初夜に子どもや仲人と共に寝る風習も同じ意味が想定されている。ただし否び妻は、拒否することに焦点を当て、拒否された男の心情を踏まえた表現である。一方ナビツマは隠れ籠もることに焦点を当てた女もしくは神側から捉えた表現。その点「いなびつま」は、神事行為である「隠れ籠もる」状態を人間の男の側から捉え直した表現なのであろう。神事語彙を歌表現として再生させた歌語といえる。荒木良雄「稲日都麻・印南野考」『国語国文』2-4。飯泉健司「〈ナビツマ〉型伝承考」『國學院大學大学院紀要』20。 |
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