いこまやま

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名いこまやま;生駒山
+項目名(旧かな)
+表記生駒山
TitleIkomayama
テキスト内容奈良県生駒市・生駒郡と大阪府東大阪市の間にあり、標高642.3メートル。稜線が南北に走り、大和国と河内国との境をなす。神武東征伝承では登美のナガスネビコの話が伝わり、河内から大和へ入る要衝の地と伝承される。近世中興の宝山寺(聖天さん)がある東側山腹の般若窟と巨岩は、古代の磐座と認められ、古く葛城修験の北の行場として山岳信仰の霊地であった。延喜式内社として往馬座伊古麻津比古(いこまにいますいこまつひこ)神社、伊古麻山口(いこまやまのくち)神社が祀られる。『住吉大社神代記』の「胆駒神南備山本記」には生駒山地一帯は、住吉大神に垂仁・仲哀両天皇が奉った地と伝える。655(斉明1)年には、青い笠をつけ唐人の形をした者が葛城嶺から竜に乗って「胆駒山」に隠れ、午の時に住吉の松嶺の上から西に飛び去ったという不思議な伝承も見える。桜井満によれば、イコマのイは「斎」、コマはクマ(隈・隅)の変化形で、奥まった聖地の意とされる。643(皇極2)年11月、蘇我入鹿の手に襲われた斑鳩宮の山背大兄王が「胆駒山」に隠れて一時難を逃れたという伝えからは、潜伏に適した辺境の地と見える。万葉集には、恋人を偲ぶよすがの山(12-3032)、難波を出航した防人がその神々しい山容を「神さぶる伊古麻多可祢」(20-4380)と仰ぎ見たりするほか、妹と共に馬で越える山(10-2201)、妹に会うために岩根を踏んで越える山とも歌われた(15-3589、3590)。その道は平城京の三条大路に結ばれる暗(くらがり)越の道などが考えられる。田辺福麻呂歌集の「寧樂の故郷を悲しむ」歌には秋に「射駒山」の「飛火が岳」で鳴く鹿が歌われる(6-1047)。平城京から見て生駒山は、東の春日山、北の奈良山と共に、西の鎮めの山として「三山鎮を作」す山(『続日本紀』)であった。なお、729(天平1)年、謀反の疑いで自ら命を絶った長屋王は、妻吉備内親王と共に「生馬山」に葬られている。櫻井満・伊藤高雄共編『生駒谷の祭りと伝承』(桜楓社)。
+執筆者伊藤高雄
+参考文献
-68264402009/07/06hoshino.seiji00DSG000090いこまやま;生駒山Ikomayama奈良県生駒市・生駒郡と大阪府東大阪市の間にあり、標高642.3メートル。稜線が南北に走り、大和国と河内国との境をなす。神武東征伝承では登美のナガスネビコの話が伝わり、河内から大和へ入る要衝の地と伝承される。近世中興の宝山寺(聖天さん)がある東側山腹の般若窟と巨岩は、古代の磐座と認められ、古く葛城修験の北の行場として山岳信仰の霊地であった。延喜式内社として往馬座伊古麻津比古(いこまにいますいこまつひこ)神社、伊古麻山口(いこまやまのくち)神社が祀られる。『住吉大社神代記』の「胆駒神南備山本記」には生駒山地一帯は、住吉大神に垂仁・仲哀両天皇が奉った地と伝える。655(斉明1)年には、青い笠をつけ唐人の形をした者が葛城嶺から竜に乗って「胆駒山」に隠れ、午の時に住吉の松嶺の上から西に飛び去ったという不思議な伝承も見える。桜井満によれば、イコマのイは「斎」、コマはクマ(隈・隅)の変化形で、奥まった聖地の意とされる。643(皇極2)年11月、蘇我入鹿の手に襲われた斑鳩宮の山背大兄王が「胆駒山」に隠れて一時難を逃れたという伝えからは、潜伏に適した辺境の地と見える。万葉集には、恋人を偲ぶよすがの山(12-3032)、難波を出航した防人がその神々しい山容を「神さぶる伊古麻多可祢」(20-4380)と仰ぎ見たりするほか、妹と共に馬で越える山(10-2201)、妹に会うために岩根を踏んで越える山とも歌われた(15-3589、3590)。その道は平城京の三条大路に結ばれる暗(くらがり)越の道などが考えられる。田辺福麻呂歌集の「寧樂の故郷を悲しむ」歌には秋に「射駒山」の「飛火が岳」で鳴く鹿が歌われる(6-1047)。平城京から見て生駒山は、東の春日山、北の奈良山と共に、西の鎮めの山として「三山鎮を作」す山(『続日本紀』)であった。なお、729(天平1)年、謀反の疑いで自ら命を絶った長屋王は、妻吉備内親王と共に「生馬山」に葬られている。櫻井満・伊藤高雄共編『生駒谷の祭りと伝承』(桜楓社)。91いこまやま生駒山伊藤高雄い1

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