テキスト内容 | イは接頭語、『時代別国語大辞典』では、動詞につく場合と区別して「神事に関する名詞について、斎み清めた、神聖なものであることをあらわす。」と述べる。クヒは、『私注』の「丸太の杭ではなく、若木を枝のまま立てたのであらう」が適切であるが、神事にもちいられるサカキ(神事に用いる常緑樹の総称、榊に限定されない。)の枝は、当該語(13-3263)の場合、川の流れに耐えられる材質の堅いツバキ科の枝を考えるべきである。ところで、神事の内実については、祓(はら)えの呪具説と神祭り説とがあり、『釈注』の上つ瀬「以下八句は祓(はら)えの神事に関する叙述。杭・鏡・玉は祓えに用いる呪物。これらを対句式に列挙するのも呪詞の手法。記紀歌謡に少なからず見える。」が、一般的理解である。当該語は、允恭記に伊予国に流された軽太子(かるのおほみこ)が、泊瀬(今の奈良県桜井市初瀬(はつせ))を偲ぶ歌謡(読歌(よみうた)とされ、紀には無い)のなかで現れる。土橋寛は「斎杙と同様に、鏡も呪物としてもちいられる。…(中略)…呪物は幾種類も重複させるほど、呪力が蓄積されてタマフリの効果が大きいとかんがえられたのである。」と述べている。これに対して、祓えの料物に鏡が見えず、神祭りにのみ鏡を捧げた点を重視した和田萃(あつむ)は「『延喜式』からうかがえることは、鏡は臨時の神マツリ、それも道教的信仰に深く関わる神マツリに際して捧げられるもので、年中行事として行われる四時祭の幣帛としてはみえず、また祓(はらえ)には用いられないことである。厳密に言えば、祓・大祓は神マツリの概念に含まれない。神マツリに際し奏上されるのが祝詞(のりと)であるのに対し、大祓で詠まれるのは祓詞(はらえことば)・呪詞である。」と述べ、鏡が出てくる当該歌(13-3263)は、天つ神を祭った例と解釈している。土橋寛『古代歌謡全注釈・古事記編』(角川書店)。和田萃「鏡をめぐる伝承」『日本古代の儀礼と祭祀・信仰 中』(塙書房)。 |
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