テキスト内容 | 天を覆って作った蔭、すなわち立派な殿舎。異訓「あまのみかげ」(元暦校本、神田本)。「天の影」(『代匠記』(初)、『略解』、『金子評釈』)、「天皇の御蔭」(『攷証』)等とする説や、「天は高く敷はへてくにをおほへり」(『万葉考』)とする説、また「かげ」を「渡る日の かげに競(きほ)ひて 尋ねてな」(20-4469)と同様に「光と解することも捨て難い」とする立場(久松潜一「万葉集評釈・一〇六 名篇の新しい評釈 藤原宮の御井の歌―巻一の六―」『国文学 解釈と教材の研究』第14巻第3号)等もある。万葉集では(1-52)が唯一の用例であるが、『延喜式』祝詞には頻出(「祈年祭」、「春日祭」、「平野祭」、「久度・古関」、「六月月次」、「大殿祭」、「六月晦大祓」、「鎭御魂斎戸祭」、「遷却祟神」、「出雲国造神賀詞」)し、「出雲国造神賀詞」の一例(「天のみかげ冠(かがふ)りて」)を除いては必ず「アメノミカゲ ヒノミカゲ」という表現をとる。祝詞中の語としては「(天に対して覆いとなる)立派な御殿」と解するのが一般的であろうが、「壮大ナ天ノ御殿」(白江恒夫「祝詞語注─六月晦大祓─」『甲南大学古代文学研究』第2号)と解する説もある。(1-52)でも「高知るや 天の御陰 天知るや 日の御陰の 水こそば 常にあらめ 御井の清水」と見え、『延喜式』祝詞と同様に「ヒノミカゲ」と対で詠まれる。伝統的な神事の詞章である「アメノミカゲ ヒノミカゲ」を特にこの歌に用いて「御井の清水」の神聖性、宮の永遠性を称えたものと考えられる。推古紀歌謡(102)に類似の表現「やすみしし 我が大君の 隠ります 天の八十蔭」が見えるが、ここでは「我が大君の 隠ります」とあるので、「天の八十蔭」は「天を覆って作った多くの蔭、すなわち立派な宮殿」であることが明確である。開化記の神名に「天之御影神(あめのみかげのかみ)」が見える。尾崎暢殃「天の御蔭考」『日本文学論究』第23冊(國學院大學国語国文学会)。 |
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