テキスト内容 | あらゆる神々。天神地祇。万葉集に19例。「天地」は本来的には自然界としての天と地の意味で、神話的世界の関係を言う「天(あめ)―国(くに)」とは異なるが、日本における天地の神は、記紀等に天つ神・国つ神とあるのに由来、或いは結びつくと思われ、その天地には天上・地上に近い意味があったろう。ただ、その両者を明確に区別し、性格づける例はなく、あらゆる神々の意味として言い慣わされた表現の範囲を出ることはない。神々に祈り、訴える内容は様々であるが、最も多いのは恋に関する歌の例である(4-655、546、13-3250、3284、3286、3287、3288、3308、3346、18-4106、19-4236)。恋愛の成就を神に祈り(4-655)、感謝し(4-546)、「天地の 神し恨めし 草枕 この旅の日(け)に 妻放(つまさ)くべしや」(13-3346)、「天地の 神はなかれや 愛(うつく)しき 我(わ)が妻離(さか)る」(19-4236)のごとく妻との隔たりについて神に怨みごとを言い、「いかにして 恋止(や)むものぞ 天地の 神を祈れど 我や思ひ増す」(13-3306)と恋の苦しさを神のせいにするなど様々である。いずれも神は具体性を持たず、「天に祈る」という時の「天」にも置き換え可能である。次いで旅の安全を祈る例(3-443、4-549、20-4374)が多い。ここでも神の存在感は薄いが、憶良の好去好来歌「唐(もろこし)の 遠き境(さかひ)に 遣はされ 罷(まか)りいませ 海原(うなはら)の 辺(へ)にも沖にも 神留(かむづ)まり うしはきいます 諸(もろもろ)の 大御神(おほみかみ)たち 船舳(ふなのへ)に 導(みちび)きまをし 天地の 大御神たち 大和(やまと)の 大国御魂(おほくにみたま)」(5-894)には、「大国御魂」と具体的な神名が示されていて、天地の神も同様に祭祀の対象とされ、上に挙げた他例よりも神の存在感が残っている。他には、吉野離宮の永遠の繁栄を祈る例(6-920)と、「天地の 神相(かみあひ)うづなひ 皇祖(すめろき)の 御霊(みたま)助(たす)けて 遠き代(よ)に かかりしことを 朕(わ)が御代(みよ)に」(18-4094、賀陸奥国出金詔書歌)と神代から朝廷に奉仕する神々への謝意を表した例がある。これらは吉野の歴史や記紀等の建国神話を背景にした歌で、神も幾らか具体性を持っていると思われる。なお東国方言では「アメツシの神」(20-4392、4426)と言う。また「天地も 依(よ)りてあれこそ」(1-50)、「天地を 訴(うれ)へ乞(こ)ひ禱(の)み」(13-3241)、「天地の 堅めし国そ 大和島根(やまとしまね)は」(20-4487)など「天地」だけで天地の神を指す例がある。記紀や風土記の天神地祇もあらゆる神々を漠然と言う場合が多いが、祭祀の対象であり、具体名をもった天つ神・国つ神を各内部において確認することができ、万葉の多くの例より神としての具体像を有していると思われる。武田祐吉『武田祐吉著作集第2巻』(角川書店)。橋本達雄『万葉宮廷歌人の研究』(笠間書院)。戸谷高明『古代文学の天と日』(新典社)。 |
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