テキスト内容 | 天上界と地上界との世界関係が天(あめ)―国(くに)であるのに対して、自然界としては天(あめ)―地(つち)というのが基本であり、それは漢語「天地(てんち)」に由来する。「天地(あめつち)の初めの時の」(2-167)、「天地の分(わか)れし時ゆ」(3-317)などは、「天地初めて発(あらは)れし時に」(記)、「古(いにしへ)に天地未(いま)だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れず」(紀)といった天地開闢神話を踏まえながら、神代の昔を表現した例であり、その多くが大和王権の淵源を歴史的、神話的に説く文脈に現れる。天地の悠久性に因んだ表現も多いが「天地と 共に終へむと 思ひつつ 仕(つか)へ奉(まつ)りし 心違(たが)ひぬ」(2-176)、「天地 日月と共に 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継(つ)ぎ来(きた)る」(2-220)、「天地と 長く久しく 万代(よろづよ)に 変はらずあらむ 行幸(いでまし)の宮」(3-315)、「天地の 遠きがごとく 日月の 長きがごとく おしてる 難波(なには)の宮に わご大君(おほきみ) 国知らすらし」(6-933)など、「宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと天壌(あめつち)と無窮(きはまりな)けむ」(紀)と同じく大和王権の永遠性や天皇の悠久の治世を言う例や、記紀神話に取材した例が多い。また「天地の 寄り合ひの極(きは)み 知らしめす 神の尊(みこと)と」(2-167)は、天地が接する極限、すなわち水平線や地平線の彼方までという空間的な広さを言い、そこから転じて時間的悠久性をもあらわす表現であって、これも天皇の治世についてである。このように天地とは、大和王権は天地開闢の神代に始まり、天地と共に永遠で、天地が接する極限まで無窮であると、大和王権の悠久の歴史をたたえる表現として多く用いられている。『淮南子』などの漢籍には、天地は必ずしも永久普遍のものではなく、時に悪政によって崩れるという例が見られる。大和王権の悠久性をたたえる天地には、王権の正統性を保証する意味が込められているのかも知れない。さて、万葉集中の天地の用例は67例であるが、そのうちの19例が「天地の神」という形をとる。「天地も 依(よ)りてあれこそ」(1-50)、「天地を 訴(うれ)へ乞(こ)ひ禱(の)み」(13-3241)、「天地の 堅めし国そ 大和島根(やまとしまね)は」(20-4487)など天地だけで天地の神を指す例もある。これらの例は天上に由来する天つ神(天神)、国土に由来する国つ神(地祇)にあたり、天地が神話的世界構造としての天―国にも通用して用いられていたことを示す。武田祐吉『武田祐吉著作集第2巻』(角川書店)。橋本達雄『万葉宮廷歌人の研究』(笠間書院)。戸谷高明『古代文学の天と日』(新典社)。 |
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