テキスト内容 | 天を領地する意で、「日」に掛かる枕詞。万葉集中「藤原宮の御井の歌」(1-52)に「高知るや 天の御陰 天知るや 日の御影の」と見えるのみ。藤原京にある宮殿の屋根を、「高知る」「天知る」といった対句表現を用いて賛美している。ただし、この対句表現もこの例のみ。『沢瀉注釈』は「高」を「天」と言い換えたもので、両句は同意としているが、厳密に言えば違うだろう。「高知る」と「天知る」と、わざわざ表現を異にしているからである。「高」は「高敷き」(6-928)と同じく美称であり、「高知る」は高く支配する意で、「天」に掛かる枕詞である。『全注』は、「天知る」の「天」は空を神話的な発想でとらえた言葉とし、ここの対句の双方に「天」が入るように工夫しているという。確かに「天」は、天つ神の住む天上世界を指すが、ここでは地上世界にある宮殿の一部を形容している。その点からすれば、「天知る」とは、天皇が建てられた藤原宮を中心に、天上世界までも掌握するかのように、宮殿の屋根がそびえ立っていると賛美した表現と考えられる。また、万葉集には「天知らす」が3例見られる。柿本人麿の高市皇子挽歌「ひさかたの 天知らしぬる」(2-200)、大伴家持の安積皇子挽歌「ひさかたの 天知らしぬれ 臥いまろび ひづち泣けども せむすべもなし」(3-475、476)のように、いずれも挽歌に見られ、四段動詞である。これらは、死後は天に戻って天上をお治めになる意で、貴人の死に対する敬避表現である。ちなみに『新大系』は、家持歌のそれは人麿歌(2-200)の模倣であろうとしている。ともあれ、「天知る」と「天知らす」は枕詞と動詞という違いはあるが、両者は、空間的にも時間的にも永続的に支配することができる天皇(皇子)の力を賛美した表現とも言えよう。このような表現の発想は、記紀神話の世界観に基づくものであると考えられる。 |
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