テキスト内容 | 天に通う橋をいう。記にはイザナギ、イザナミの二神が国土を造り固める場面で、「故(かれ)、二柱の神、天(あめ)の浮橋(うきはし)に立たして、其(そ)の沼矛(ぬほこ)を指(さ)し下(おろ)して画(か)きしかば、塩(しほ)こをろこをろに画(か)き鳴(な)して、引(ひ)き上(あ)げし時に、其の矛の末(すゑ)より垂(したた)り落(お)ちし塩は、累(かさな)り積(つも)りて島と成りき。是(これ)、於能碁呂島(おのごろしま)ぞ。」とあり、紀には「伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)、天浮橋(あまのうきはし)の上に立たし、共(とも)に計(はか)りて曰(のたま)はく、「底下(そこつした)に、豈(もし)国(くに)無(な)けむや」とのたまひ、廼(すなは)ち天之瓊矛(あまのぬほこ)を以(も)ちて、指(さ)し下(おろ)して探(さぐ)りたまひ、是(ここ)に滄溟(あをうなはら)を獲(え)き。其(そ)の矛の鋒(さを)より滴瀝(したた)る潮(そほ)、凝(こ)りて一島(ひとつのしま)に成(な)れり。名(なづ)けて磤馭慮島(おのごろしま)と曰(い)ふ。」とある。「天橋」はここで語られる「天の浮橋」がこれに等しく、記紀の文脈からここが天上界と地上界の接点であることがわかる。「はし」の形状については天上界と地上界を結ぶかけ橋のようなものを想像するか、あるいは、はしごのようなものを想定するか説がわかれる。万葉集には「天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも」(13-3245)といった表現があることから、天橋は長いものと考えられていたことがわかる。天橋という語に万葉びとは天と地を結ぶ長い通路を想像していたのである。 |
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