あまのひつぎ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名あまのひつぎ;天の日継
+表記天の日継
TitleAmanohitsugi
テキスト内容日の皇子として皇祖の霊を受け継ぐこと、転じて皇位そのものをもいう。「あまつひつぎ」とも。ヒツギのヒは、タカミムス・カミムスなどのヒと同じく、本来は霊威をあらわす語。日の神の信仰にともなって、同音の「日」(太陽=天照大神)ともみなされた。日の神(天照大神)の霊を継ぐ皇子を「日の皇子」といい、皇位を継承することを「日継」ともいった。ヒを継ぐとは、信仰的には天孫ニニギノミコトと一体化するということである。記紀・宣命・祝詞等に「天津日継」(記)、「宝祚」「天業」(紀)、「天日嗣」(宣命)、「天津日嗣」(祝詞)等多くの用例を見るが、いずれも「あまつひつぎ」と読み、「皇位につく」の意で用いられている。万葉集では、この句は「あまのひつぎ」という形で5首の歌に詠まれている。作者はすべて大伴家持である。749(天平感宝1)年2月、陸奥の国より黄金を献上する。4月、聖武天皇は東大寺に出御して盧舎那仏を拝し宣命。家持はその出金詔書(第13詔)に大伴家の祖先以来の功績が称揚されていることに感動して、5月、渾身の力を込めて「出金詔書を寿ぐ歌」を作る。その長歌冒頭に「葦原の 瑞穂の国を 天降り 知らしめしける 皇祖(すめろき)の 神の命の 御代重ね 天(あま)の日嗣(ひつぎ)と 知らし来る」(18-4094)とある。天皇こそ高天原から天降りされた皇祖の霊の継承者だと称える。家持が鑽仰して止まない聖武天皇は、7月に阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位する。そういう時だからこそ皇祖の神聖なる継承者としての天皇がより強く意識されたのであろう。同じ5月に「ひとり帷(とばり)の中にいて、遠くホホトギスの鳴声を聞いて作った」という歌も「高御座(たかみくら) 天の日嗣と 皇祖の 神の命の」(18-4089)と歌い起こしている。「あまのひつぎ」が天皇即位の宣命、例えば「天津日嗣高御座(あまつひつぎたかみくら)の業(わざ)」(文武天皇元年)や「天つ日嗣と高御座に坐まして」(元明天皇、慶雲4年)に依っていることは、諸注が指摘するとおりである。しかし、家持は宣命をそのまま使用するのではなく、わずか一字を変えることによって、万葉集中他に例を見ない独自の表現とした。折口信夫「大嘗祭の本義」『全集3』(中央公論社)。戸谷高明「『日の皇子』と『天の日嗣』」『古代文学の天と日』(新典社)。小野寛「家持の皇統賛美の表現―『あまのひつぎ』―」『大伴家持研究』(笠間書院)。
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資料ID31655
-68219402009/07/06hoshino.seiji00DSG000045あまのひつぎ;天の日継Amanohitsugi日の皇子として皇祖の霊を受け継ぐこと、転じて皇位そのものをもいう。「あまつひつぎ」とも。ヒツギのヒは、タカミムス・カミムスなどのヒと同じく、本来は霊威をあらわす語。日の神の信仰にともなって、同音の「日」(太陽=天照大神)ともみなされた。日の神(天照大神)の霊を継ぐ皇子を「日の皇子」といい、皇位を継承することを「日継」ともいった。ヒを継ぐとは、信仰的には天孫ニニギノミコトと一体化するということである。記紀・宣命・祝詞等に「天津日継」(記)、「宝祚」「天業」(紀)、「天日嗣」(宣命)、「天津日嗣」(祝詞)等多くの用例を見るが、いずれも「あまつひつぎ」と読み、「皇位につく」の意で用いられている。万葉集では、この句は「あまのひつぎ」という形で5首の歌に詠まれている。作者はすべて大伴家持である。749(天平感宝1)年2月、陸奥の国より黄金を献上する。4月、聖武天皇は東大寺に出御して盧舎那仏を拝し宣命。家持はその出金詔書(第13詔)に大伴家の祖先以来の功績が称揚されていることに感動して、5月、渾身の力を込めて「出金詔書を寿ぐ歌」を作る。その長歌冒頭に「葦原の 瑞穂の国を 天降り 知らしめしける 皇祖(すめろき)の 神の命の 御代重ね 天(あま)の日嗣(ひつぎ)と 知らし来る」(18-4094)とある。天皇こそ高天原から天降りされた皇祖の霊の継承者だと称える。家持が鑽仰して止まない聖武天皇は、7月に阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位する。そういう時だからこそ皇祖の神聖なる継承者としての天皇がより強く意識されたのであろう。同じ5月に「ひとり帷(とばり)の中にいて、遠くホホトギスの鳴声を聞いて作った」という歌も「高御座(たかみくら) 天の日嗣と 皇祖の 神の命の」(18-4089)と歌い起こしている。「あまのひつぎ」が天皇即位の宣命、例えば「天津日嗣高御座(あまつひつぎたかみくら)の業(わざ)」(文武天皇元年)や「天つ日嗣と高御座に坐まして」(元明天皇、慶雲4年)に依っていることは、諸注が指摘するとおりである。しかし、家持は宣命をそのまま使用するのではなく、わずか一字を変えることによって、万葉集中他に例を見ない独自の表現とした。折口信夫「大嘗祭の本義」『全集3』(中央公論社)。戸谷高明「『日の皇子』と『天の日嗣』」『古代文学の天と日』(新典社)。小野寛「家持の皇統賛美の表現―『あまのひつぎ』―」『大伴家持研究』(笠間書院)。
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