テキスト内容 | 天上界の入口にある門のこと。万葉集の中での唯一の用例は、大伴家持の「族(うがら)を喩(さと)す歌」の長歌(20-4465)の冒頭に「ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし 皇祖(すめろき)の 神の御代より」とある例である。この歌ではこの表現の後、その神の御代よりずっと大伴氏が弓矢を携え久米部の勇士を率いて天皇に仕えて来たことが高らかに語られる。これと同様の記事を紀、神代下の天孫降臨段の一書第四に見つけることができる。そこでは、天孫降臨を主導する「高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)」が、降臨する天孫「天津彦国光彦火瓊瓊杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと))」への準備を施した後、「則ち天磐戸(あまのいはと)を引開(ひきあ)け、天八重雲(あまのやへくも)を排分(おしわ)けて、降し奉る。」とある。その記事に続けて、大伴連の遠い祖先である「天忍日命(あまのおしひのみこと)」が、久米部の遠い祖先を率いて天孫「天津彦国光彦火瓊瓊杵尊」の先払いをして、日向の高千穂へ天降ったことが語られる。その大伴の祖先「天忍日命」の姿は、背中には矢を入れる靫を背負い、腕には弓を射る時に腕を保護する厳めしい高鞆を装着し、手には天上界の弓と大蛇をも射殺すことのできる矢を持ち、また鏑矢を持ち、腰には立派な剣を帯びるという勇壮な姿であった。家持はこのような伝承に依拠して上記の長歌作品を制作したのであろう。家持歌の左注には「右、淡海真人三船の讒言に縁りて、出雲守大伴古慈斐宿祢、任を解かる。ここを以て家持この歌を作る。」とあり、一族の危機に際して、大伴氏の栄えある伝統を語り起こし、一族の者どもの思慮ある行動を求めたのである。なお、前述の紀の一書第四の正文では対応する箇所に「天磐座(あまのいはくら)を離(おしはな)ち」とある。この「天磐座」とは、「天上界の岩の台座。祭壇であり、また司令所でもある」(新編『日本書紀』頭注)もの。一方の一書第四では、「天磐戸を引開け」とあることにより、天上界の門が開かれ「天津彦国光彦火瓊瓊杵尊」が天孫降臨して来るという荘厳な印象が付与されている。 |
---|