テキスト内容 | ①高天の原にある天上の河原。②七夕歌に見える天の川の河原。天漢とも。①は柿本人麿の日並皇子挽歌(2-167)に天地初発の時八百万・一千万の神々が集い、天上は日女の尊が、地上は日の皇子が統治することを決めた場所としてみえる。また丹生王の挽歌(3-420)には、石田王の死を伝えた使者の言葉が間違いだと願うために、天の川原に出て禊ぎをしたいとみえる。天の河原は、神代記に日神が天の岩屋戸に隠れた時、八百万の神々が日神を呼び出すために、天の安の河原に集まったとある。天の河原は、天上で重要な問題が起きた時にすべての神々が集まり会議をする場であり、逆言を元に戻す力のある川でもある。②は七夕伝説に登場する。万葉集では天の川は多くは天漢と表記される。七夕伝説は中国渡来であり、天の川は天漢の翻訳語である。天漢は天の漢水の意で、地上の漢水(陝西省から湖北を経て長江に入る)が北から南に流れており、天上の銀河も同じであり天漢と呼ばれた。山上憶良の七夕歌(8-1520)では、天地初発の時から彦星と織女とが川を挟んで向き合い嘆き、小船があれば漕ぎ渡り天の河原で領布を敷き手を交え幾夜も寝たいのだと歌う。天の河原は、二星が年に一度だけ出会い、一夜を過ごす逢瀬の場である。①と②とは素材が異なり接点は見出しがたいが、②の中には「天漢安渡」(10-2000)とあり、天の川の安の渡りとある。この河原は記の天の安の河原と等しいように思われる。①と②とは、同じ場所を指している可能性がある。日本古代の文献に天上の星々の世界は希薄であり、目立つのは外来の星合伝説である七夕歌である。とすれば七夕伝説の天の川から天の安の河原へと至り、それが人麿の天の河原の神話へと至る道筋が考えられる。そのように推測出来るのは、先の日並皇子挽歌に日の皇子が天の石門を開き神上がりしたことから窺える。天の石門は中国の天官書にいう天門のことと思われ、28宿図でいう東方の角二星がそれに当たる。その東方に牽牛星・織女星の二星が向き合う天漢がある。いわば、この28宿の中心に高天の原があり、八百万・一千万の神々が集まる天の安の河原がある。この神々は、星神であったと思われる。それは同時に天地初発の時に天帝により分けられた二星の七夕伝説をも抱えて、天の河原は両者が交じり合い日本古代に定着したと思われる。 |
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