テキスト内容 | ①七夕歌の舞台として天上に見える川。②神話世界を投影した天上に見える川。③霊魂昇天の通路。漢字表記は、天漢・天河・天川。万葉仮名は安麻能我波(あまのがは)(18-4126)。①②③とも、実際の天空上に見える銀河(天の川)を指す表現である。天漢は天上の漢水の意で、地上の漢水が地の涯で天の川に繋がり、天の川の流れが地上の漢水になったとする。同様な発想は天の川を天上のナイルと呼びナイル川と繋がると見るエジプト等にもある。①の七夕歌における天の川の描き方は、彦星と織女が川を挟んで向き合う型(8-1518等)、彦星と織女を隔てる障害となる型(10-2038等)、石礫(いしつぶて)が届くほど川幅が狭いのに七夕以外は逢えない掟(おきて)を歎く型(8-1522等)、舟や浅瀬・棚橋等を使い彦星が織女に逢いに行く型(10-2047、2074、2081等)などがある。つまり、天の川は二星にとって、障害と通路の二面的性格を持った存在である。七夕伝説で7月7日しか二星が逢えないのは、本来の中国の伝説では織女は仙女であり、異郷の存在である仙女と人間が出逢えるのが7月7日という異郷と此世が繋がる特別な日のみだからである。天の川は7月7日のみ異郷と此世を結ぶ通路となり、普段は両者を切り離す障害として機能しているのである。丁度三途(さんず)の川が普段は現世と来世の境界であり、七・七忌のみ死者の通路となることに対応している。②は、記紀に登場する「天の安の河」と関連する「天の川 安の渡り」(10-2000)等があり、七夕伝説の起源を悠久の神話世界に措定している。③の霊魂昇天の道とする見方も汎世界的である(2)。(3-420)で、天の川原の禊(みそ)ぎで石田王を復活させようとしたのは、古代日本人も天の川を霊魂昇天の通路と見なしたためであろう。記の「道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)」は伊邪那伎命の帯から成った神で、『おもろさうし』534番の「神の愛(まな)愛(まな)きき帯」が天の川の比喩である如く、帯のように天空に長く横たわる天の川を表わす神と言える。西宮一民『集成古事記』も、この神を「説話的には、黄泉の国から現し国への脱出の長さを暗示する」としている。天の川は死者の国と生者の国を結ぶ通路でもあったのである。勝俣隆「七夕伝説の発生と変容」『古事記年報』49号。出石誠彦『支那神話伝説の研究』(中央公論社)。海部宣男『宇宙をうたう』(中公新書)。勝俣隆『星座で読み解く日本神話』(大修館書店) |
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