テキスト内容 | 天上界の神聖な水の意。万葉集に「天水」(2-167)、祝詞・中臣の寿詞に「天都水」と表記される。万葉集の「天つ水」は、柿本人麻呂の日並皇子殯宮挽歌(2-167)と大伴家持の祈雨歌(18-4122)に「仰ぎて待つ」の枕詞として用いられる。人麻呂歌では天上の神々から与えられる天皇の権威をいずれはもつはずの皇子、その皇子の統治を待ち望んでいる時にという文脈でこの句がうたわれ、また家持歌では6月の小旱に天からの恵みの雨を待っているという神への祈りを背景としてこの句が出てくる。高天原から降臨する日の御子という天皇神話に結びついた句であり、また国司による雨乞いの祭祀から発想された句と見られる。その意味では単なる慈雨ではなく、儀礼的、祭祀的な語から枕詞として歌語化したことが考えられる。この句が祭祀に基盤を持つ語であることは、祝詞・中臣の寿詞に、天孫降臨の際に神ろき・神ろみの命(天のこやねの命という説もある)が天のおし雲ねの命に教えた言葉「皇御孫(すめみま)の尊(みこと)の御膳(みけ)つ水は、顕(うつ)し国の水に天つ水を加へて奉(たてまつ)らむと申せ」に明瞭に表れている。中臣の寿詞は平安時代末の大嘗祭で奏上されたもので、大嘗祭において天皇のお食事の水はこの国にある水に天上界の水を加えよと教えている。そこには「天の水」という天上界の神聖な水によって天皇の権威が付与されるという理解がある。この祝詞の例は「天つ水」が神事や祭祀に用いられ、宮廷儀礼語として様式的な詞句であったことを示している。紀の仲哀天皇条で、神功皇后が神懸かりする場面に「天つ水影如(かげな)す押し伏せて我が見る国」という記述があるのも、この語の神事的側面をよく伝えている。神託の詞句の「水影」は神聖な天上界の水だからこそ「影」が映るのであって、これも「天つ水」が神事や祭祀に基盤をもつことの一例と見ることができる。戸谷高明『古代文学の天と日』(新典社)。 |
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