あしはらのみずほのくに

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名あしはらのみずほのくに;葦原の瑞穂の国
+表記葦原の瑞穂の国
TitleAshiharanomizuhonokuni
テキスト内容天上界(記のいう高天原)に対する地上の国土の意味。記紀では、天孫降臨の文脈におけるアマテラスやタカミムスヒの神勅の中に、皇祖が降臨統治すべき地上の国土の呼称として現れる。記紀では「葦原の中つ国」とも呼ばれ、そちらが神代における国土の一般的な呼称である。「葦原」は生命力に満ちながら、原始性をも含みもつ。その国作りが完了し、穀霊である皇孫が天降るべき、稲の稔り豊かな国が「葦原の瑞穂の国」である。葦原の中つ国も、葦原の瑞穂の国も、神代(正確には神武の即位以前)における国土の称であって、それが天皇の統治する「天(あめ)の下(した)」へと繫がってゆく。『延喜式』祝詞にも「豊(とよ)葦原の瑞穂の国」の例があり、やはり皇孫の治める国土の称である。万葉集には次の5例がある。「天照らす 日女(ひるめ)の尊(みこと) 天(あめ)をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の寄り合ひの極(きは)み 知らしめす 神の尊(みこと)と 天雲(あまくも)の 八重かき分けて 神下(かむくだ)し いませまつりし 高照らす 日の皇子(みこ)は 飛ぶ鳥の 清御原(きよみ)の宮に」(2-167、人麻呂)、「葦原の 瑞穂の国を 天降り 知らしめしける 皇祖(すめろき)の」(18-4094、家持)は記記、祝詞の用法から大きくは外れない。167でその国を治める「日の皇子」は、上からの続きでは天孫降臨のニニギ、下へは続きでは天武天皇を指し、記紀神話を受けながら、天武とニニギとを重ね合わせているとも、天武の降臨という人麻呂独自の神話があったとも言われている。「葦原の 瑞穂の国に 手向(たむけ)すと 天降(あも)りましけむ 五百万(いほよろづ) 千万神(ちよろづがみ)の 神代(かむよ)より」(13-3227)、「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙(ことあ)げせぬ国」(13-3253、人麻呂歌集)、「葦原の 瑞穂の国に 家(いへ)なみや また帰り来(こ)ぬ 遠つ国 黄泉(よみ)の界(さかひ)に」(9-1804、福麻呂)は、天孫降臨には関わらないが、3227、3253では神の関与する国土という点で辛うじて記紀との共通項が見出せる。1804は福麻呂が弟の死を哀悼する歌であり、死者の国である黄泉の国に対する、生きた人間界を意味する用例である。記の黄泉国段における葦原の中つ国と黄泉の国との対比が念頭にあっただろうか。なお、「瑞穂の国」1例が人麻呂作歌(2-199)にある。西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)。神野志隆光『古事記の世界観』(吉川弘文館)。神野志隆光『柿本人麻呂研究』(塙書房)。遠山一郎『天皇神話の形成と万葉集』(塙書房)。
+執筆者松本直樹
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID31628
-68192402009/07/06hoshino.seiji00DSG000018あしはらのみずほのくに;葦原の瑞穂の国Ashiharanomizuhonokuni天上界(記のいう高天原)に対する地上の国土の意味。記紀では、天孫降臨の文脈におけるアマテラスやタカミムスヒの神勅の中に、皇祖が降臨統治すべき地上の国土の呼称として現れる。記紀では「葦原の中つ国」とも呼ばれ、そちらが神代における国土の一般的な呼称である。「葦原」は生命力に満ちながら、原始性をも含みもつ。その国作りが完了し、穀霊である皇孫が天降るべき、稲の稔り豊かな国が「葦原の瑞穂の国」である。葦原の中つ国も、葦原の瑞穂の国も、神代(正確には神武の即位以前)における国土の称であって、それが天皇の統治する「天(あめ)の下(した)」へと繫がってゆく。『延喜式』祝詞にも「豊(とよ)葦原の瑞穂の国」の例があり、やはり皇孫の治める国土の称である。万葉集には次の5例がある。「天照らす 日女(ひるめ)の尊(みこと) 天(あめ)をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の寄り合ひの極(きは)み 知らしめす 神の尊(みこと)と 天雲(あまくも)の 八重かき分けて 神下(かむくだ)し いませまつりし 高照らす 日の皇子(みこ)は 飛ぶ鳥の 清御原(きよみ)の宮に」(2-167、人麻呂)、「葦原の 瑞穂の国を 天降り 知らしめしける 皇祖(すめろき)の」(18-4094、家持)は記記、祝詞の用法から大きくは外れない。167でその国を治める「日の皇子」は、上からの続きでは天孫降臨のニニギ、下へは続きでは天武天皇を指し、記紀神話を受けながら、天武とニニギとを重ね合わせているとも、天武の降臨という人麻呂独自の神話があったとも言われている。「葦原の 瑞穂の国に 手向(たむけ)すと 天降(あも)りましけむ 五百万(いほよろづ) 千万神(ちよろづがみ)の 神代(かむよ)より」(13-3227)、「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙(ことあ)げせぬ国」(13-3253、人麻呂歌集)、「葦原の 瑞穂の国に 家(いへ)なみや また帰り来(こ)ぬ 遠つ国 黄泉(よみ)の界(さかひ)に」(9-1804、福麻呂)は、天孫降臨には関わらないが、3227、3253では神の関与する国土という点で辛うじて記紀との共通項が見出せる。1804は福麻呂が弟の死を哀悼する歌であり、死者の国である黄泉の国に対する、生きた人間界を意味する用例である。記の黄泉国段における葦原の中つ国と黄泉の国との対比が念頭にあっただろうか。なお、「瑞穂の国」1例が人麻呂作歌(2-199)にある。西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)。神野志隆光『古事記の世界観』(吉川弘文館)。神野志隆光『柿本人麻呂研究』(塙書房)。遠山一郎『天皇神話の形成と万葉集』(塙書房)。19あしはらのみずほのくに葦原の瑞穂の国松本直樹あ1

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