テキスト内容 | 朝昇る太陽。朝方の日。夕日の対としても使用される。「朝烏」の用字は万葉集中に1例(10-1844)見られ、太陽を中国で「金烏」というところからきたものと考えられ、『懐風藻』にも「金烏」という例が見られる。「あさひ」という語句は、万葉集中において実景としても使用される(2-177、189、192)が、讃め詞としても使用される。例えば、「朝日さす春日」(10-1844、12-3042)という表現があるが、「朝日さす」は実景であるとともに「春日」の讃め詞として使用されていると考えられている。その他にも、「朝日さし まぎらはしもな」(14-3407)は女性の美しさに対する賛嘆であると考えられ、「朝日さし 背向に見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山」(17-4003)の「あさひ」も、神秘化された立山の、山容の美しさの描写であると考えられる。また、「うち日さす 大宮仕へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも」(13-3234)は、大宮の美しさの描写であるが、夕日と対応する形での讃め詞となっている。このような例は記にも見られる。天孫降臨条では、日向の高千穂を「朝日の直刺す国、夕日の日照る国ぞ。故、此地は、甚吉き地」と讃え、また歌謡にも「纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日光る宮」(99)と、宮讃めの表現として使用されている。景行天皇紀においても、巨木であるがゆえに神木とされた木の描写として「朝日の暉に当りては、則ち杵島山を隠し、夕日の暉に当りては、亦阿蘇山を覆ひき」と「あさひ」と夕日が対として使用されている。「あさひ」という語句はそれを冠する対象を神秘化することにより讃える、という性格を持っているようである。 |
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