テキスト内容 | 民。青草のように繁茂し生きている人々。山上憶良の「子らを思へる歌」(5-802)の序に、お釈迦様ですら子を愛するのだから、まして世間の蒼生で誰が子を愛さないことがあろうか、と見える。世間の蒼生とは、この世に生きてある青草の如き人々の意味である。応神記には「宇都志岐青人草(うつくしきあをひとくさ)」と見え、「うつし」は現実にあること、世間にあること。「あを」は草の色。兄弟が賭けをして兄は負けたが償物を出さなかったことに対し、弟は世の事は神の行為に倣うべきで、青人草の習慣に倣って償わないのかと諫める。青人草が信じられない人間とされるのは、青草が世俗を象徴し信を示さないという考えからである。また神代記にイザナミの命が黄泉の坂でイザナギの命と絶縁をする場面があり、イザナミが汝の国の「人草」を千人殺すといい、それに対してイザナギは一日に千五百の産屋を建てると応酬する。人草も、人を繁茂する草に喩えたものである。神代紀には殺された保食(うけもち)の神の死体から成った穀物を「蒼生」に与えると見え、「蒼生」に「宇都志枳阿烏比等久佐(うつくしきあをひとくさ)」の訓注がある。蒼生は書経の益稷に「帝は天の下を照らし、海隅の蒼生に至る」と見え、この蒼生は蒼蒼然として生ずる青草の意味で、後に民の意味となった。和語の「あおひとくさ」は、漢語の「蒼生」からの翻訳語であることが知られる。 |
---|