【解説】[土御門家記録]

大分類図書館デジタルライブラリー
中分類史学・法制関係
小分類[土御門家記録]
分野分類 CB歴史学
文化財分類 CB図書
資料形式 CBテキストデータベース
+解説『土御門家記録』 「家秘要録」 [貴2208]

〈解題〉

『土御門家記録』は、朝廷に代々陰陽頭・天文博士として仕えた土御門家が所有していたものである。室町時代中期から江戸時代初期までの間における天変地異に関して、土御門家が朝廷や幕府に上申した勘文類が書写されている。全9冊から成るが、その内訳は以下のとおり。

   1 「家秘要録 天変地妖之勘草」(永享5年~応仁2年) 50丁 縦28.0糎×横22.4糎
   2 「家秘要録 天変地妖之勘草」(文安元年~宝徳2年) 20丁 縦27.0糎×横23.4糎
   3 「家秘要録 天変地妖之勘草」(長享2年~永正9年) 34丁 縦28.0糎×横23.8糎
   4 「家秘要録 天変地妖之勘草」(明応8年~天正12年) 38丁 縦26.0糎×横20.5糎
   5 「家秘要録 天変地妖之勘草」(弘治2年~永禄2年) 24丁 縦25.2糎×横18.2糎
   6 「家秘要録 天変地妖之勘草」(永禄4年~天正19年) 12丁 縦25.4糎×横20.9糎
   7 「家秘要録 天変地妖之勘草」(天正13年~慶長13年) 12丁 縦26.8糎×横20.3糎
   8 「家秘要抄」 19丁 縦24.6糎×横17.3糎
   9 「家道要録」 18丁 縦26.0糎×横19.6糎
中世の天文道について知ることができる良質な史料と言えるが、実はこの史料には、文書の紙背が多数用いられていて、そこには、これまで知られていなかった新出史料、とくに織田信長・豊臣秀吉と同時代の文書が多数含まれている。
・丹羽長秀書状((天正11年)閏正月3日付、土御門久脩宛)
・土御門久脩書状((年未詳)2月20日付、「寺次様」宛)
・土御門久脩書状((年未詳)2月20日付、「伊予守殿」宛)
・中山慶親直書((年未詳)3月11日付、土御門久脩宛)
・長束正家書状((年未詳)12月29日付、土御門久脩宛)
・丹羽長秀書状((年未詳)12月29日付、土御門久脩宛)
・早崎小伝次書状((年未詳)2月16日付、土御門久脩宛)
・丹羽長秀書状((年未詳)2月25日付、土御門久脩宛)
・長束正家書状((年未詳)2月25日付、土御門久脩宛)
・早崎小伝次書状((年未詳)2月■日付、土御門久脩宛ヵ)
 ここにはそのうちの主だったものを挙げたが、織田信長の重臣であった丹羽長秀と、豊臣政権の五奉行の一人として知られる長束正家の新出文書を、それぞれ2点ずつみることができる。秀吉に仕える以前、長束が丹羽長秀の家臣であったことは知られているが、その時代の発給文書についてこれまでほとんど確認されていなかった。その意味においても、史料的価値は極めて高いと言えるだろう

〈参考〉

・堀越祐一「『土御門家記録』紙背文書の紹介」(『國學院大學校史・学術資産研究』10 2018年)
+登録番号(図書館資料ID)貴2208
所有者(所蔵者)國學院大學図書館
コンテンツ権利区分CC BY-SA-ND
資料ID143970
- +テーマ検索 春の特別列品「土御門家がみた宇宙-江戸時代の天文観測」+143969 37 2020/11/18 r.teshina 【解説】[土御門家記録] 【解説】[土御門家記録] 貴2208 12 019 『土御門家記録』 「家秘要録」 [貴2208]

〈解題〉

『土御門家記録』は、朝廷に代々陰陽頭・天文博士として仕えた土御門家が所有していたものである。室町時代中期から江戸時代初期までの間における天変地異に関して、土御門家が朝廷や幕府に上申した勘文類が書写されている。全9冊から成るが、その内訳は以下のとおり。

   1 「家秘要録 天変地妖之勘草」(永享5年~応仁2年) 50丁 縦28.0糎×横22.4糎
   2 「家秘要録 天変地妖之勘草」(文安元年~宝徳2年) 20丁 縦27.0糎×横23.4糎
   3 「家秘要録 天変地妖之勘草」(長享2年~永正9年) 34丁 縦28.0糎×横23.8糎
   4 「家秘要録 天変地妖之勘草」(明応8年~天正12年) 38丁 縦26.0糎×横20.5糎
   5 「家秘要録 天変地妖之勘草」(弘治2年~永禄2年) 24丁 縦25.2糎×横18.2糎
   6 「家秘要録 天変地妖之勘草」(永禄4年~天正19年) 12丁 縦25.4糎×横20.9糎
   7 「家秘要録 天変地妖之勘草」(天正13年~慶長13年) 12丁 縦26.8糎×横20.3糎
   8 「家秘要抄」 19丁 縦24.6糎×横17.3糎
   9 「家道要録」 18丁 縦26.0糎×横19.6糎
中世の天文道について知ることができる良質な史料と言えるが、実はこの史料には、文書の紙背が多数用いられていて、そこには、これまで知られていなかった新出史料、とくに織田信長・豊臣秀吉と同時代の文書が多数含まれている。
・丹羽長秀書状((天正11年)閏正月3日付、土御門久脩宛)
・土御門久脩書状((年未詳)2月20日付、「寺次様」宛)
・土御門久脩書状((年未詳)2月20日付、「伊予守殿」宛)
・中山慶親直書((年未詳)3月11日付、土御門久脩宛)
・長束正家書状((年未詳)12月29日付、土御門久脩宛)
・丹羽長秀書状((年未詳)12月29日付、土御門久脩宛)
・早崎小伝次書状((年未詳)2月16日付、土御門久脩宛)
・丹羽長秀書状((年未詳)2月25日付、土御門久脩宛)
・長束正家書状((年未詳)2月25日付、土御門久脩宛)
・早崎小伝次書状((年未詳)2月■日付、土御門久脩宛ヵ)
 ここにはそのうちの主だったものを挙げたが、織田信長の重臣であった丹羽長秀と、豊臣政権の五奉行の一人として知られる長束正家の新出文書を、それぞれ2点ずつみることができる。秀吉に仕える以前、長束が丹羽長秀の家臣であったことは知られているが、その時代の発給文書についてこれまでほとんど確認されていなかった。その意味においても、史料的価値は極めて高いと言えるだろう

〈参考〉

・堀越祐一「『土御門家記録』紙背文書の紹介」(『國學院大學校史・学術資産研究』10 2018年) 1

この資料に関連する資料

PageTop