【解説】古事記 上・中・下梵舜筆(上巻) 室町時代末期写 梵舜本
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小分類 | 古事記 上・中・下梵舜筆(上巻) 室町時代末期写 |
文化財分類 CB | 図書 |
資料形式 CB | テキストデータベース |
+解説 | 古事記 梵舜本 [貴57-59] 〈外題〉「古事記 上(中・下)」 (左肩・雲英引の書題簽) 〈内題〉「古事記上巻(中巻・下巻)」 〈巻冊〉3巻3冊 〈体裁〉袋綴(四つ目綴) 〈書写年代〉室町時代後期 〈墨界〉縦約20.8糎×横約16.8糎 〈表紙寸法〉縦27.0糎×横20.8糎 〈書入・貼紙〉墨で付訓あり。朱で合点、句読点、丁付あり。朱・墨で頭注 〈奥書〉なし 〈蔵書印〉「寶玲文庫」、「月明荘」 〈解題〉 本書は、上巻が梵舜筆、中・下巻は別筆。書写者・梵舜は卜部兼右の子として天文22(1553)年に生まれ、吉田家唯一神道の提唱者、兼倶創建の神龍院の僧侶として卜部吉田神道を支えた人物である。時の後陽成天皇や徳川家康に仕え、書物を書写、神道伝授に寄与した。その兄・兼見の日記『兼見卿記』によると、天正12(1584)年4月17日条平野吉田家の「日本書紀、旧事記、古事記」等の神典が吉田家に渡ったという記事が見られ、梵舜が兼永自筆本を見た状況はかなりの確証を得られることといえる。 本書の性格は、兼永自筆本の右にでるものはないが、その書写態度は忠実なものといえる。例えばその一端を示すと、兼永本の○符傍書注記を梵舜は本文に挿入している例が顕著であるが、その際、卜部系諸本の特徴である8行15字詰の原則をくずし、字詰めを軽減している点、しかもその字詰めを考慮しながら結果的に兼永本と本文を合わせる形をとっている点が窺えるのである。従来、兼永自筆本と梵舜本の間には未知の一本を介在させて系統付けられる。梵舜本の上・中巻に、兼永本には見られない錯簡が見られるからである(中巻の錯簡は綴じ誤りによるもの。上巻では47丁と48丁の間に、55・56・57丁にあたる部分が挿入されている)。錯簡の存在については疑問が残るものの、本書の忠実な書写態度、さらに日記の記述から両者は親子関係にある本とみて差し支えないと考えられる。 内閣文庫蔵の秘閣本は梵舜本を書写したものである。これは徳川家康の図書収集事業の一環として五山の僧に梵舜所持の古事記を書写せしめたもので、その日記『舜旧記』慶長19(1614)年11月26日条、幕府書物奉行近藤正斎『右文故事』に詳しい。なお、秘閣本は梵舜本上巻の錯簡を踏襲する。 |
企画展アドレス1 | http://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2021_nihonsyoki.html |
+登録番号(図書館資料ID) | 貴57-59 |
所有者(所蔵者) | 國學院大學図書館 |
コンテンツ権利区分 | CC BY-SA-ND |
資料ID | 143428 |
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