【解説】三社託宣 

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小分類三社託宣 
分野分類 CB歴史学
文化財分類 CB図書
資料形式 CBテキストデータベース
+登録番号(図書館資料ID)貴 87 /貴 2147
+本タイトル【解説】三社託宣 
+解説三社託宣(後陽成天皇宸翰)[貴2147]

〈体裁〉掛幅装
〈寸法〉縦98.1糎×横43.9糎(184.0糎×55.6糎)
〈箱書〉蓋表「後陽成院宸翰 三社陀(託)宣」、蓋裏貼紙「後陽成院宸筆/慶長二年八月十二日拝領〈兼見〉/右以兼見卿御記考之了/兼雄」
〈解題〉

本資料は、後陽成天皇[1571~1617]直筆(宸翰、宸筆)の三社託宣である。同じく後陽成天皇宸筆の「吉田斎場記」とともに吉田家に伝わった。同家は神道や古典を伝えた家である。

三社託宣は、伊勢(天照大神)、八幡(八幡大菩薩)、春日(春日大明神)の託宣である。それぞれ、正直、清浄、慈悲を表すとされる。その成立年代、成立地については諸説あり、一定しない。松本清房『三社託宣抄』(慶安3年(1650))では、東大寺東南院の池に現れたとする説と吉田神主にのりうつって託宣したとする説を併記する。

室町時代後期、吉田兼俱[1435~1511]によって取り上げられ、以後、広く流布する。兼俱あるいは、その影響下によって成立した『神楽岡縁起』(三社託宣本縁)(河野省三博士記念文庫本を参照)では、嵯峨天皇が伊勢、空海が八幡、兼俱の先祖の智治麻呂が春日の託宣を作ったとする。

吉田兼見(兼和)[1535~1610]の日記である『兼見卿記』慶長2年(1597)8月12日条には、後陽成天皇直筆の三社託宣を頂いたとあり、吉田兼雄[1705~1787]は、本資料がそれに当たるとしている(箱裏書)。なお、兼見は織田信長、豊臣秀吉、明智光秀らとも交流があり、信任を得ていたことでも知られている。

〈参考〉

・渡邉國雄『神道思想とその研究者たち』(渡喜 1957年)

・西田長男「三社託宣の制作」(『日本神道史研究 第5巻 中世編(下)』講談社 1979年)

・岡田莊司「吉田兼倶と吉田神道・斎場所」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157 2010年)
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-143100 37 2020/11/18 r.teshina 【解説】三社託宣  【解説】三社託宣  貴 87 /貴 2147 01 014 三社託宣(後陽成天皇宸翰)[貴2147]

〈体裁〉掛幅装
〈寸法〉縦98.1糎×横43.9糎(184.0糎×55.6糎)
〈箱書〉蓋表「後陽成院宸翰 三社陀(託)宣」、蓋裏貼紙「後陽成院宸筆/慶長二年八月十二日拝領〈兼見〉/右以兼見卿御記考之了/兼雄」
〈解題〉

本資料は、後陽成天皇[1571~1617]直筆(宸翰、宸筆)の三社託宣である。同じく後陽成天皇宸筆の「吉田斎場記」とともに吉田家に伝わった。同家は神道や古典を伝えた家である。

三社託宣は、伊勢(天照大神)、八幡(八幡大菩薩)、春日(春日大明神)の託宣である。それぞれ、正直、清浄、慈悲を表すとされる。その成立年代、成立地については諸説あり、一定しない。松本清房『三社託宣抄』(慶安3年(1650))では、東大寺東南院の池に現れたとする説と吉田神主にのりうつって託宣したとする説を併記する。

室町時代後期、吉田兼俱[1435~1511]によって取り上げられ、以後、広く流布する。兼俱あるいは、その影響下によって成立した『神楽岡縁起』(三社託宣本縁)(河野省三博士記念文庫本を参照)では、嵯峨天皇が伊勢、空海が八幡、兼俱の先祖の智治麻呂が春日の託宣を作ったとする。

吉田兼見(兼和)[1535~1610]の日記である『兼見卿記』慶長2年(1597)8月12日条には、後陽成天皇直筆の三社託宣を頂いたとあり、吉田兼雄[1705~1787]は、本資料がそれに当たるとしている(箱裏書)。なお、兼見は織田信長、豊臣秀吉、明智光秀らとも交流があり、信任を得ていたことでも知られている。

〈参考〉

・渡邉國雄『神道思想とその研究者たち』(渡喜 1957年)

・西田長男「三社託宣の制作」(『日本神道史研究 第5巻 中世編(下)』講談社 1979年)

・岡田莊司「吉田兼倶と吉田神道・斎場所」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157 2010年) 1

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