【解説】伊勢二所太神宮神名秘書 

大分類図書館デジタルライブラリー
中分類神道文化関係
小分類伊勢二所太神宮神名秘書 
分野分類 CB歴史学
文化財分類 CB図書
資料形式 CBテキストデータベース
+解説伊勢二所太神宮神名秘書 [貴1187]

〈外題〉「重校神名秘書 全」
〈内題〉「伊勢二所太神宮神名秘書并序」
〈巻冊〉1巻1冊
〈体裁〉袋綴(四ツ目綴)
〈表紙寸法〉縦27.5糎×横20.0糎
〈書入・貼紙〉あり
〈奥書〉本云 弘安八年十二月三日蒙博陸侯之厳命撰進之処/快然之由被下御教書弾正大弼業行奉判
朱書ニ還補以後重検旧記加執捨也
六十未満以前不披見秘記之間有所秘也
貞治二年五月之比仰神祇権大副大中臣時世以故行忠/神主外宮祢宜本令去((ママ))冩畢則校合之
前祭主従三位行神祇権大副大中臣朝臣名判

享保四己亥初冬二日夜書寫了
〈丁数〉墨付38丁
〈解題〉

『伊勢二所太神宮神名秘書』は、外宮一禰宜度会行忠(1236~1305)により、弘安8年(1285)12月に関白藤原兼平の「厳命」を受けて撰進された。

『神名秘書』には広本と略本が存在するが、広本は弘安8年の成立後、弘安10年7月以降に修訂されたものである。これに対し略本には「風宮」との記述があり、風社への宮号宣下のあった正応6年(1293)3月以後に広本をもととして編集したとされる。

また、度会家行(1256~?)書写本を祖本とする別系統の伝本が存在する。その奥書には「抑此神名帳行忠神主撰レ之。禅林寺(亀山法皇)殿御治世之時、内々 奏覧預二 叡感一云々」とあり、亀山法皇の叡覧を賜わっている。
内容としては、巻頭に「夫日本者神胤也」から始まる序文を載せ、本文で皇太神宮と度会宮に大別し、両宮の正殿・相殿・別宮・摂末社の祭神・神体・由緒を述べ、斎宮・離宮院・両機殿まで説き及んでいる。
本資料は、江戸時代中期の本草学者、松岡恕庵(1668~1746)の手択本である。

恕庵とは通称で、名は玄達、字は成章、怡顔斎と号した。兼ねて山崎闇斎(1619~1682)に儒学を学び、垂加神道にも追随した。特に、垂加神道と橘家神道の秘伝を集成・整理した玉木葦斎(1671~1736)と親交し、多くの神道書を借写している。儒家であり、本草学者として著名であったが、神道を畢生の学問としたことが知られている。

奥書によれば、恕庵が書写を遂げたのは享保4年(1719)10月2日の夜である。前年には『造伊勢二所太神宮宝基本記』を書写しており、この頃、玉木葦斎より神道五部書を一括して借写したとされる。

奥書には続けて、

右元本錯簡誤脱甚夥本文/注文標注三者混雑無章殆不可読因参考諸本/一々比校始復旧文魚魯点分焉馬字明竢他日閑隙可浄寫暫藏諸篋笥備藏書之数云    怡顔齋

との朱書がみえる。享保4年書写の底本は広本に属するが、恕庵はその状態の悪さを嘆いており、諸本との比校を重ねていた。

さらに裏見返には、先述した別系統に属する奥書が貼紙で付される。本書全体には夥しい数の朱筆の書入れ、貼紙があり、恕庵の神道研鑽の有りようが窺われる。
〈参考〉

・久保田収『中世神道の研究』(神道史学会、1959年)

・神道大系編纂会編『神道大系 論説編五 伊勢神道(上)』(神道大系編纂会、1993年)

・近藤啓吾『続山崎闇斎の研究』(神道史学会、1991年)

・太田由佳『松岡恕庵本草学の研究』(思文閣出版、2012年)
+登録番号(図書館資料ID)貴1187
資料ID143077
所有者(所蔵者)國學院大學図書館
-143077 37 2020/11/18 r.teshina 【解説】伊勢二所太神宮神名秘書  【解説】伊勢二所太神宮神名秘書  貴1187 01 003 伊勢二所太神宮神名秘書 [貴1187]

〈外題〉「重校神名秘書 全」
〈内題〉「伊勢二所太神宮神名秘書并序」
〈巻冊〉1巻1冊
〈体裁〉袋綴(四ツ目綴)
〈表紙寸法〉縦27.5糎×横20.0糎
〈書入・貼紙〉あり
〈奥書〉本云 弘安八年十二月三日蒙博陸侯之厳命撰進之処/快然之由被下御教書弾正大弼業行奉判
朱書ニ還補以後重検旧記加執捨也
六十未満以前不披見秘記之間有所秘也
貞治二年五月之比仰神祇権大副大中臣時世以故行忠/神主外宮祢宜本令去((ママ))冩畢則校合之
前祭主従三位行神祇権大副大中臣朝臣名判

享保四己亥初冬二日夜書寫了
〈丁数〉墨付38丁
〈解題〉

『伊勢二所太神宮神名秘書』は、外宮一禰宜度会行忠(1236~1305)により、弘安8年(1285)12月に関白藤原兼平の「厳命」を受けて撰進された。

『神名秘書』には広本と略本が存在するが、広本は弘安8年の成立後、弘安10年7月以降に修訂されたものである。これに対し略本には「風宮」との記述があり、風社への宮号宣下のあった正応6年(1293)3月以後に広本をもととして編集したとされる。

また、度会家行(1256~?)書写本を祖本とする別系統の伝本が存在する。その奥書には「抑此神名帳行忠神主撰レ之。禅林寺(亀山法皇)殿御治世之時、内々 奏覧預二 叡感一云々」とあり、亀山法皇の叡覧を賜わっている。
内容としては、巻頭に「夫日本者神胤也」から始まる序文を載せ、本文で皇太神宮と度会宮に大別し、両宮の正殿・相殿・別宮・摂末社の祭神・神体・由緒を述べ、斎宮・離宮院・両機殿まで説き及んでいる。
本資料は、江戸時代中期の本草学者、松岡恕庵(1668~1746)の手択本である。

恕庵とは通称で、名は玄達、字は成章、怡顔斎と号した。兼ねて山崎闇斎(1619~1682)に儒学を学び、垂加神道にも追随した。特に、垂加神道と橘家神道の秘伝を集成・整理した玉木葦斎(1671~1736)と親交し、多くの神道書を借写している。儒家であり、本草学者として著名であったが、神道を畢生の学問としたことが知られている。

奥書によれば、恕庵が書写を遂げたのは享保4年(1719)10月2日の夜である。前年には『造伊勢二所太神宮宝基本記』を書写しており、この頃、玉木葦斎より神道五部書を一括して借写したとされる。

奥書には続けて、

右元本錯簡誤脱甚夥本文/注文標注三者混雑無章殆不可読因参考諸本/一々比校始復旧文魚魯点分焉馬字明竢他日閑隙可浄寫暫藏諸篋笥備藏書之数云    怡顔齋

との朱書がみえる。享保4年書写の底本は広本に属するが、恕庵はその状態の悪さを嘆いており、諸本との比校を重ねていた。

さらに裏見返には、先述した別系統に属する奥書が貼紙で付される。本書全体には夥しい数の朱筆の書入れ、貼紙があり、恕庵の神道研鑽の有りようが窺われる。
〈参考〉

・久保田収『中世神道の研究』(神道史学会、1959年)

・神道大系編纂会編『神道大系 論説編五 伊勢神道(上)』(神道大系編纂会、1993年)

・近藤啓吾『続山崎闇斎の研究』(神道史学会、1991年)

・太田由佳『松岡恕庵本草学の研究』(思文閣出版、2012年) 1

この資料に関連する資料

PageTop