契沖

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル契沖
+ヨミガナ / NAME / 性別ケイチュウ / KEICHUU / 男
+小見出し阿闍梨、高津円寿庵住職
+別名
+別称〔姓〕下川 【国1】
〔字〕空心 【和】
〔号〕空心・契沖 【国1】
[法号]円珠庵契沖阿闍梨行実 【書】
+生年月日寛永17年<1640>8月 【国続】
+没年月日元禄14年<1701>1月 25日 【国1】
+享年62歳 【国1】
+生国・住国
+生国・住国(現在地名)
+生国摂津尼崎 【国1】
+生国(現在地名)
+住国紀伊高野山・摂津生玉・和泉久井里・摂津今里・難波 【国1】、大坂 【和】
+住国(現在地名)
+墓地名円珠庵の後 【国1】大阪天王寺円珠庵 【書】
+墓地現在地
+学統快賢,浄厳
+典拠国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.3993
+解説目次
+解説
+特記事項
+参考文献
+史資料〔玉かつま(八)〕 ある人のいへること
ある人の、古学を、儒の古文辞家の言にさそはれて、いできたる物なりといへるは、ひがごとながら、わが古学は、契沖はやくそのはしをひらけり。かの儒の古学といふことの始めなる。伊藤氏など、契沖と大かた同じころといふうちに、契沖はいさゝか先だち、かれはおくれたり、荻生氏は、又おくれたり。いかでかかれにならへることあらむ。
〔倭心三百首〕 古事学び
その身こそ、法師なれども、古言を、まなぶ学の、祖とあふがむ。
代々久に、あやまてりける、仮名づかひ、たゞしおきしは、契沖の大人。
さばかりの、阿奢梨の学び、そのかみは、世に知る人の、あらずぞありける。
かしこくも、みとの君こそ、契沖が、秀たる学び、しろしめしけり。
万葉の、その解説を、契沖に、みとの君こそ、こひ給ひしか。
〔畸人傳(三)〕
蒿蹊又按。此師の歌学、顕昭法橋の説を梯として、古書を見明らめしものとおぼし。凡近世の人、唯中川の流の説にあらざれば、道の定めにあらずとす。是によりて、過を過にて傳ふるが道なりといふ説さへおこれり。此師、此関を透過して、一事一語、徴をいにしへにとる。其中、或は、過不及なくしてもあらざめど、一たび此道ひらけてこそは、是に次で、いふ人もいできけれ。然れば、千歳の一人といはんも過言にあらじ。
〔南嶺子〕
先達不勘の誤を正し、古人未発の義理を明にするに、旧文に徴を取り、後学の亀鑑となすこと多し。誠に千載の一人ならむのみ。然るにたゞ、万葉を以て主として、後世の歌を論ず。然るにたゞ、万葉を以て主として、後世の歌を論ず。それ和歌には其時代あるものにて、(中略)太古の万葉集を準備にして、後の歌を議するはいかん。杜に左傳の癖あり。契沖は歌学の達人といふべし。歌道の達人といふべし。歌道の達人といふべからず。
〔行実〕
登高野。受菩薩戒於圓通寺快圓比丘。持律益苦。挂錫泉州久井里。愛山水幽奇。居数歳焉。該三蔵通悉曇。旁窺諸宗章疏。至十三経史。及文選。白氏文集。無不渉猟。名跡稍顕。従遊日多。於是。屏居州之池田川之側。読日本紀以下。国史旧記。専好倭歌。博探歌書。
水戸候源義公、方恨万葉集世無善註。而其詞義甚不明。慨然有爲之志。聞師才名欲召託其事。師雖固辞不就。而竊感公之志。作万葉集代匠記二十巻。総釈二巻上之如第一所載雄略帝御製。援神代巻無目籠。訓籠子。夫雄略去神代未遠。則師所訓。前人所未発。蓋得其旨。義公見」之嘉其卓見。且寄其合素意。賜白金一千両。絹三十疋。
〔事実文編(五)〕
僧契沖歿。実元禄十四年矣。歿即塔于圓珠庵。々在大坂東郊。今四十三年。塋域荒蕪。疑字漫剥。庵主源光憂之。将修焉。乃謀江友俊。素嗜為和歌。学冲焉。議便能合。遂欲別造碑。而記其顛末。以刻之家上。乃俾余文之。以弗識冲且儒殊途也。辞焉。俊曰。冲雖即緇流。善和歌。及治万葉集。而有功于訓詁也。水戸義公之命詞臣。為万葉集纂註也。介而請冲。固辞不就。於是乎。撰代匠記。以献之。総釈副焉。則公嘉其善解古言。善釈古歌。乃餽白金千両。絹三十疋。以展謝之冲即散瞻貧乏。修塔廟。一錢尺帛。不以隨身。公又閲古今余材抄。至柹本太夫。明石和歌解。大服其卓見。乃復興書。強起之。辞曰林壑之性。不嫺拝趨。終不就。所著。漫吟集二十巻。下河辺長流子序之。厚顔抄。改観抄。勝地吐懐篇。各三巻。勢語臆断四巻。源註拾遺。名所補翼。各八巻。類字名所集七巻。和字正濫五巻。河社二巻。代匠記二十巻。総釈二巻。古今余材抄十巻。冲為人也。寛厚長者。謙恭愛人。強識博覧。旁通経史。甞為人説万葉集。引証確実。雄弁如注。聴者慄然。以為古行。秘書之流亜。幼時長流子。誦其編什。莫逆乎心。乃請為方外之交。相與唱酬。以為得一鐘期焉。其優浮屠之法。即其載水戸詞臣。安藤為章。所撰行状。及僧義剛所録逸事状。此冲之梗概。余閲之歎曰。斯異乎世僧之撰。其豈可以浮屠之故郤之耶。乃取行状読之。冲姓下川氏。諱空心。祖考、諱元宣。仕肥後守加藤清正。考諱元全。仕尼崎城主青山幸利。娶間氏生冲。五歳能誦定家所輯和歌百首。七歳嬰疾幾死。乃懇父母為僧。時十有三矣生恬詹受静。不欲圭巨刹。晩住持摂之妙法寺。一盖為邇母氏居也。母氏終天年乃退。居圓珠庵歿。年六十二。臘五十三。寛保三年癸亥孟冬。大坂五井純禎撰。
〔藤垣内文集〕 契沖阿闍梨の古事学びおこされけるをいふ詞
軽島の明の大御代に、書ちふ物はじめてまゐき、磯城島の金刺の宮の大御代に、佛ちふ物渡りきて、漢国の教の道を物たらひよきことゝ思ひ、佛たふとふことをめでたきことゝして、此二ッの道のあめのした、よもにはこばれることは、難波のうなひに、芦原のおひしくことのごとくなもなりける。漢の道はは、下より根はへ、佛の道は、うへよりおゝりて、大御国の大御風は、こもりづの下にのみし、しる人もなくなりにて、代々をしへぬれば、かしこきや、神代の御ふみをとくにも、さかしし漢理にときまけ、よしなき佛意に、とりなしもする世となもなりにける。かの磯城島の御代には、ほとけをまつらば、神の御意かしこしと、堀江のわたりにいてさせたまひ、大同の御代には、斎部なにがしの宿禰が、漢字の出でくるは、古書わすれぬべきはしと、なげかせることゞもゝ、今なもいちじろく思ひあはさえける。しかるを元禄のころほひ、難波の契沖の大人は、仏の弟子として、その国字を学び、漢国の書をしも、よく見わたして、御国の遠つ御手ぶり、言霊のたすけさきはふことわりをし、つばらにさとり、言語のたふとぶべきことわりをなも、かむがへしりて、かりごもの、よゝ久にみだれてありつる、仮字づかひをたゞしみちびき、あさぎりのまどはしかりつる歌のこころをも、ねもごろにときをしへられけるより、ことおこりてなも、世中に古事まなびする人々、次ぎべにあれつぎて、かのあしとものしらさやれるところべを、とげる心の敏鎌もて、かりそけかきわけ、水底ふかくたづねて、真珠白玉、たかく尊き遠つ御代の、大御手ぶり、神代の古事まで、やゝへに光みえゆく世となもなりにける。うれしきかも。たふときかも。そもへ、かの漢の道を、はじめておこなはしけるも、難波の高津の宮の御代、仏の道の世にさかえそめけるも、難波の四天王寺なるを、その難波にしもありける契沖のうしの功より、神道のあらはれそめける事よ。堀江のふかきよしあるわざになもありけらし。安永九年二月。
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類古学, 国書, 神大, 和歌, 国史, 神人, 神事, 神史, 大事典, 名家
+和学者カード
-10 国学関連人物データベース 36 1 CKP000001 契沖 KEICHUU 契沖 KEICHUU , 3993 小伝 国伝 全 35932 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 阿闍梨、高津円寿庵住職 男 ケイチュウ / KEICHUU / 男 けいちゅう,下川,沖,空心,契沖,円珠庵契沖阿闍梨行実 ケイチュウ 〔姓〕下川 【国1】 〔字〕空心 【国1】 〔号〕契沖 【国1】 [法号]円珠庵契沖阿闍梨行実 【書】 〔姓〕下川 【国1】
〔字〕空心 【和】
〔号〕空心・契沖 【国1】
[法号]円珠庵契沖阿闍梨行実 【書】 8月 【国続】 寛永17年<1640>8月 【国続】 1月25日 元禄14年<1701>1月 25日 【国1】 62歳 【国1】 1640 - 1701 摂津尼崎 【国1】 紀伊高野山・摂津生玉・和泉久井里・摂津今里・難波 【国1】、大坂 【和】 円珠庵の後 【国1】大阪天王寺円珠庵 【書】 快賢,浄厳 快賢・浄厳 【書】 国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.3993 〔玉かつま(八)〕 ある人のいへること
ある人の、古学を、儒の古文辞家の言にさそはれて、いできたる物なりといへるは、ひがごとながら、わが古学は、契沖はやくそのはしをひらけり。かの儒の古学といふことの始めなる。伊藤氏など、契沖と大かた同じころといふうちに、契沖はいさゝか先だち、かれはおくれたり、荻生氏は、又おくれたり。いかでかかれにならへることあらむ。
〔倭心三百首〕 古事学び
その身こそ、法師なれども、古言を、まなぶ学の、祖とあふがむ。
代々久に、あやまてりける、仮名づかひ、たゞしおきしは、契沖の大人。
さばかりの、阿奢梨の学び、そのかみは、世に知る人の、あらずぞありける。
かしこくも、みとの君こそ、契沖が、秀たる学び、しろしめしけり。
万葉の、その解説を、契沖に、みとの君こそ、こひ給ひしか。
〔畸人傳(三)〕
蒿蹊又按。此師の歌学、顕昭法橋の説を梯として、古書を見明らめしものとおぼし。凡近世の人、唯中川の流の説にあらざれば、道の定めにあらずとす。是によりて、過を過にて傳ふるが道なりといふ説さへおこれり。此師、此関を透過して、一事一語、徴をいにしへにとる。其中、或は、過不及なくしてもあらざめど、一たび此道ひらけてこそは、是に次で、いふ人もいできけれ。然れば、千歳の一人といはんも過言にあらじ。
〔南嶺子〕
先達不勘の誤を正し、古人未発の義理を明にするに、旧文に徴を取り、後学の亀鑑となすこと多し。誠に千載の一人ならむのみ。然るにたゞ、万葉を以て主として、後世の歌を論ず。然るにたゞ、万葉を以て主として、後世の歌を論ず。それ和歌には其時代あるものにて、(中略)太古の万葉集を準備にして、後の歌を議するはいかん。杜に左傳の癖あり。契沖は歌学の達人といふべし。歌道の達人といふべし。歌道の達人といふべからず。
〔行実〕
登高野。受菩薩戒於圓通寺快圓比丘。持律益苦。挂錫泉州久井里。愛山水幽奇。居数歳焉。該三蔵通悉曇。旁窺諸宗章疏。至十三経史。及文選。白氏文集。無不渉猟。名跡稍顕。従遊日多。於是。屏居州之池田川之側。読日本紀以下。国史旧記。専好倭歌。博探歌書。
水戸候源義公、方恨万葉集世無善註。而其詞義甚不明。慨然有爲之志。聞師才名欲召託其事。師雖固辞不就。而竊感公之志。作万葉集代匠記二十巻。総釈二巻上之如第一所載雄略帝御製。援神代巻無目籠。訓籠子。夫雄略去神代未遠。則師所訓。前人所未発。蓋得其旨。義公見」之嘉其卓見。且寄其合素意。賜白金一千両。絹三十疋。
〔事実文編(五)〕
僧契沖歿。実元禄十四年矣。歿即塔于圓珠庵。々在大坂東郊。今四十三年。塋域荒蕪。疑字漫剥。庵主源光憂之。将修焉。乃謀江友俊。素嗜為和歌。学冲焉。議便能合。遂欲別造碑。而記其顛末。以刻之家上。乃俾余文之。以弗識冲且儒殊途也。辞焉。俊曰。冲雖即緇流。善和歌。及治万葉集。而有功于訓詁也。水戸義公之命詞臣。為万葉集纂註也。介而請冲。固辞不就。於是乎。撰代匠記。以献之。総釈副焉。則公嘉其善解古言。善釈古歌。乃餽白金千両。絹三十疋。以展謝之冲即散瞻貧乏。修塔廟。一錢尺帛。不以隨身。公又閲古今余材抄。至柹本太夫。明石和歌解。大服其卓見。乃復興書。強起之。辞曰林壑之性。不嫺拝趨。終不就。所著。漫吟集二十巻。下河辺長流子序之。厚顔抄。改観抄。勝地吐懐篇。各三巻。勢語臆断四巻。源註拾遺。名所補翼。各八巻。類字名所集七巻。和字正濫五巻。河社二巻。代匠記二十巻。総釈二巻。古今余材抄十巻。冲為人也。寛厚長者。謙恭愛人。強識博覧。旁通経史。甞為人説万葉集。引証確実。雄弁如注。聴者慄然。以為古行。秘書之流亜。幼時長流子。誦其編什。莫逆乎心。乃請為方外之交。相與唱酬。以為得一鐘期焉。其優浮屠之法。即其載水戸詞臣。安藤為章。所撰行状。及僧義剛所録逸事状。此冲之梗概。余閲之歎曰。斯異乎世僧之撰。其豈可以浮屠之故郤之耶。乃取行状読之。冲姓下川氏。諱空心。祖考、諱元宣。仕肥後守加藤清正。考諱元全。仕尼崎城主青山幸利。娶間氏生冲。五歳能誦定家所輯和歌百首。七歳嬰疾幾死。乃懇父母為僧。時十有三矣生恬詹受静。不欲圭巨刹。晩住持摂之妙法寺。一盖為邇母氏居也。母氏終天年乃退。居圓珠庵歿。年六十二。臘五十三。寛保三年癸亥孟冬。大坂五井純禎撰。
〔藤垣内文集〕 契沖阿闍梨の古事学びおこされけるをいふ詞
軽島の明の大御代に、書ちふ物はじめてまゐき、磯城島の金刺の宮の大御代に、佛ちふ物渡りきて、漢国の教の道を物たらひよきことゝ思ひ、佛たふとふことをめでたきことゝして、此二ッの道のあめのした、よもにはこばれることは、難波のうなひに、芦原のおひしくことのごとくなもなりける。漢の道はは、下より根はへ、佛の道は、うへよりおゝりて、大御国の大御風は、こもりづの下にのみし、しる人もなくなりにて、代々をしへぬれば、かしこきや、神代の御ふみをとくにも、さかしし漢理にときまけ、よしなき佛意に、とりなしもする世となもなりにける。かの磯城島の御代には、ほとけをまつらば、神の御意かしこしと、堀江のわたりにいてさせたまひ、大同の御代には、斎部なにがしの宿禰が、漢字の出でくるは、古書わすれぬべきはしと、なげかせることゞもゝ、今なもいちじろく思ひあはさえける。しかるを元禄のころほひ、難波の契沖の大人は、仏の弟子として、その国字を学び、漢国の書をしも、よく見わたして、御国の遠つ御手ぶり、言霊のたすけさきはふことわりをし、つばらにさとり、言語のたふとぶべきことわりをなも、かむがへしりて、かりごもの、よゝ久にみだれてありつる、仮字づかひをたゞしみちびき、あさぎりのまどはしかりつる歌のこころをも、ねもごろにときをしへられけるより、ことおこりてなも、世中に古事まなびする人々、次ぎべにあれつぎて、かのあしとものしらさやれるところべを、とげる心の敏鎌もて、かりそけかきわけ、水底ふかくたづねて、真珠白玉、たかく尊き遠つ御代の、大御手ぶり、神代の古事まで、やゝへに光みえゆく世となもなりにける。うれしきかも。たふときかも。そもへ、かの漢の道を、はじめておこなはしけるも、難波の高津の宮の御代、仏の道の世にさかえそめけるも、難波の四天王寺なるを、その難波にしもありける契沖のうしの功より、神道のあらはれそめける事よ。堀江のふかきよしあるわざになもありけらし。安永九年二月。 古学, 国書, 神大, 和歌, 国史, 神人, 神事, 神史, 大事典, 名家 史資料 在庫

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