藺莚の製造(昭和5年)

資料名(ヨミ)イグサムシロノセイゾウ
資料番号20-01-0561
大分類歴史
中分類写真・絵葉書
所蔵館小松市立博物館
寸法254×305mm
形態四ッ切
公開解説藺草は大野地内に天然に生育していたものを、吉竹の人がこれを移植したのに始まる。沖・打越・若杉・八幡・不動島の五ヵ村に特に盛んに藺莚がつくられていたので、一に五ヵ表と呼ばれていた。前田利常が小松城に隠居していた頃、その指導によって麻を縦糸として良質の藺莚製造に成功してから、販路が次第に拡張した。小松表として名声がたかまり、明治・大正時代には農家の婦人の副業として、盛んに茣蓙機織りが行われていた(写真は昭和5年撮影)。現在は機械による製織にかわっている。

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