鳥谷の宝篋印塔

名称ヨミトヤノホウキョウイントウ
年代室町時代末期
指定年月日市・平成5年4月28日
解説国道395号線の右手側にある個人宅裏のイチイの木の下に据えられてあるが、以前は南方の緩斜面上にあったという。近くには、鳥谷館址がある。
基檀(高さ14.0cm、幅32.0cm)と基礎(高さ8.0cm、幅25.0cm)は、一石でつくられており、無地の自然石である。
基礎の側面は、台形状である。塔身(高さ19.0m、幅17.0cm)は、輪郭を巻き、更に、四面を田型に4区に区切っている。
笠(高さ18.0cm、幅32.0cm)の段型は、下1段に沈線をいれ、上は3段に省略している。
隅飾は、軒端の上端に小突起状につくられ、やや外反している。相輪(現状高21.0cm)は、請花の上に上部を欠失した宝輪をのせる。請花は、鋸歯状に10個の蓮弁を線刻している。室町時代後期から末期のものと推定される。
宝篋印塔は、五輪塔とともにわが国の石塔の二大潮流をなすもので、供養塔や墓塔として全国的に数多く建てられている。久慈市内には約10基残っているが、いずれも室町時代後期から近世初期までのものとみられ、手がかりの少ない久慈地方の中世の歴史・文化を探る上で重要な資料である。
参考『久慈市の指定文化財』、『久慈文化財マップ』43、『久慈市の石碑』15

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