川代の二十三夜塔・庚申供養塔

名称ヨミカワダイノニジュウサンヤトウ・コウシンクヨウトウ
年代二十三夜塔:文政12年正月(1829),庚申供養塔:文化元年12月(1804)
指定年月日市・平成5年4月28日
解説二十三夜塔と供養塔が並んで建立されている。
久慈市内の二十三夜塔は、この碑のみだけであり、その由来も全く伝えられていないが、恐らくかつては作占いを行っていたものと考えられる。また、庚申供養塔と並んで建てられていることから、庚申信仰と二十三夜信仰が同一地域で行われたことを裏付ける史料である。
二十三夜信仰とは、一定の月の二十三日の夜に講の集まりをもち、月の出を待って拝む行事であり、全国的には女性中心の講で安産の神とされているところが多いが、岩手県北から青森県にかけては二十三夜の月の出の位置や状態によって作占いを行う習わしがあった。
銘文:
(二十三夜塔)
文化元年甲子十二月日
庚申供養塔 (三猿)
施主 川代伝之助
    石□宇右エ門  □□ □□
    太□市助     兵助 □作
       藤吾     平助   利七
      源四郎     中枩(松)
(庚申供養塔)  
文政十二巳丑 正月
ホ三塔
川代
□□
参考『久慈市の指定文化財』,『久慈文化財マップ』40,『久慈市の石碑』7,8

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