御申大権現庚申塔

名称ヨミオンサルダイゴンゲンコウシントウ
年代江戸時代寛保2年11月吉日(1742)
指定年月日市・平成5年4月28日
解説中国で伝わる道教の「守庚申」という行事が、平安時代に日本へ伝わり、仏教や神道が混交して「庚申待」という独特の民族的祭事になった。江戸時代に盛んに行われ、庶民の社交の場でもあった。
元来、長寿延命を祈願し、庚申にあたる日に一晩眠らずに過ごすのが庚申の行事であったが、後に信仰が広まるにつれて「豊作豊漁の神、火の神、病気平癒、道の神」などとして拝まれれようになった。「道祖神」と結びついて、「追分石」を兼ねて建てられたり、悪疫などを防ぐ「塞の神」と同じに部落のはずれなどに建てられたりした。
県内にある約5,000基の庚申塔のうち「御申大権現」と刻まれているのはこの石碑だけである。また、久慈市内には他地方にくらべて庚申塔が多いが、これらの中でも最古の庚申塔である。
文字が整った形でない上に自然石のひだが入り混じっており、磨滅している所もあって判読しにくいが、これを建てた農民たちの名も入っており、貴重な文化財である。
原位置は、現在位置から20mほど離れたところであったと言われていた。
銘文:
(右側面)    新甼
      久慈 切金
          岩花

(正面)寛保二天
    御申大権現
    戌 十一月吉日

    孫十郎
    勝□□
    市 助
    長重郎
    長之助
    右衛門

(左側面)施主
参考『久慈市の指定文化財』、『久慈文化財マップ』38、『久慈市の石碑』49

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