平沢一里塚1基

名称ヨミヒラサワイチリツカ1キ
年代藩政時代
指定年月日市・平成5年4月28日
解説江戸幕府は、国内統治のため幹線街道の整備を図り、36町を1里と定め、旅行者のため一里塚を築かせ、一定区間に宿駅を設け伝馬による継送を基本とする宿駅制度がつくられた。
盛岡藩主重直公は、領内の街道整備に努め、悪路の改修・新設など城下と主要地点を結ぶ地方道は、ほぼこの頃にできたと言われている。
「南部領惣絵図」(藩政時代)には、三陸海岸沿いに仙台領本吉郡気仙沼から八戸藩領を通り青森県に至る「浜街道」の一部に長内村地内の「一里塚」が記されている。これが「平沢の一里塚」である。現存する西塚は、築造時の原型をかなりとどめていると思われ、交通史を知る上で貴重な史跡である。
参考『久慈市の指定文化財』,『久慈文化財マップ』33

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