蛭子神社の助人足覚面附2枚

名称ヨミヒルコジンジャノスケニンソクオボエメンツケ2マイ
年代江戸時代延宝元年(1673)
指定年月日市・平成5年4月28日
解説この助人足覚は、いずれも上下2枚の板を組み合わせたものに書かれている。
表面には、村名、人名、人数が上下2段に記録され、裏面には薬師堂の造営を称賛する和歌と絵が書かれている。
蛭子神社には延宝2年銘の棟札があり、造営工事が4月朔日に完了したことが分かるが、人数覚の日付からこれに関係するものである。
「村」については、八戸藩の領内行政区分により、通制が確立するのは寛文11年(1671)で、九戸郡内18か村という村を意味するものではなく、現在の部落の範囲あるいは更に細分化された集落を指しているものと思われる。
「人名」は兵部、左京助、右京助、治郎、式部、刑部など中世の流れが色濃く見られ、「文字」についても棟札などとは異なり、中世的であることから極めて貴重な史料である。
銘文:
すけ人数覚(一)
 (上段の部分)
   覚(一)
一ひわ□け 泉太郎   弐人
一同村    時次郎   弐人
一御き□□ 清能四郎  弐人
一同村    とら三    壱人
一麦畑    清六     弐人
一同村    兵部     弐人
一いさノ沢  清四郎    弐人
一同村    五兵衛    弐人
一むろ屋   左衛門□□ 三人
一同村    右衛門二郎 三人
一同村    左衛門二郎 弐人
一林ノ下   清ノ四郎   弐人
一同村    七郎      四人
一同村    時清二郎   弐人
一同村    六郎      壱人
一同村    千太郎     三人
一堅田    時清三郎    三人
一□行    左衛門二郎  弐人
一□行    ねぎ       五人
一堅田    時五郎     弐人
一三竹    左衛門二郎  弐人
一かゆ江   六郎      三人
一かうつけ  清能四郎   弐人
一同村    清ノ四郎    二人
一同村    七郎      六人
一苅ノ沢   左衛門次郎  三人
一□崎    兵部      二人
一同村    一郎      二人
一同村    清六      壱人
一同村    左京助     弐拾四人
一若はな   弥九郎     壱人

 (下段部分)
一森子    右京助     三拾人
一関合    右衛門太郎  廿四人
一堅田    竹ノ坊      弐人
一関合    清能四郎    弐人
一古屋敷   時清二郎    壱人
一馬場    七郎       弐人
一同村    左衛門三郎   弐人
一同村    左エ門三郎   壱人
一中村    弥三郎      六人
一同村    土ちう       壱人
一同村    左衛門三郎   弐人
一同村    かも助      四人
一関向    いつも      四人
一屋地中   清六      二人
一同村    衛門三郎    二人
一同村    助一       三人
一せいどう  右衛門太郎   弐人
一同村    清九郎      九郎
一久保田   かも助      五人
一同村    彦三郎      弐人
一同村    兵五郎      弐人
一同村    兵部       壱人
一同村    勘三郎      壱人
一上野    安清六      壱人
一片きし   源内        拾七人
一同村    源右エ門     拾六人
一同村    源蔵        十人
一辻地    源三郎       三人
一同村    靏二        二人
一八まん   権二郎      三人
一同村    六郎        三人
一同村    権左衛門     壱人

 覚(一)の裏
○○○
 四十五
 ○○

 四月八日之

なかゝに
  をもい
    いれ
     たる
やくし
  とう
   まいりて
     みれは
とうわ
  こんりう

久慈長内
 村師□(抹消の意の・有り)

古ノ□

ありかたや
   やくし
     □ふ
   たくいの
     知かいやち

こんりう
  するわ

作左
 衛門
なり

 薬師

すけ人数覚(二)
 (上段部分)
   覚(二)
千蔵□□
ほり屋敷
一同村   □□
一本木沢  □□□
一徳田沢  □□□
一同村    □□□     人
一同村    清五郎    弐人
一同村    介見坊    壱人
一かぬか   治部     弐人
一田高    かも助    壱人
一同村    左衛門二郎 三人
一同村    権六     壱人
一同村    左エ門二郎 壱人
一柏崎    六郎左エ門 二人
一本木沢  右エ門太郎  三人
一同村    圓エ門三郎  三人
一同村    時左郎     壱人
一同村    七郎      弐人
一同村    すくね     壱人
一同村    六郎      弐人
一同村    七郎      壱人
一八日町   新右衛門   壱人
一同村    たすこ     壱人
一同村    覚之助    五人

 (下段部分)
一鳥井野   左衛門二郎  弐人
一同村     小民部    弐人
一同村     左京進    弐人
一八日町   玄番      壱人
一同村     宮内     壱人
一同村     助右衛門   八人
一田中     左エ門二郎  壱人
一同村     右エ門三郎  壱人
一寺屋敷    右エ門二郎  壱人
一同村     杉本       壱人
一坂下     式部       四人
一中井     刑部左衛門  四人
一下田中   兵部       壱人
一同村     左エ門太郎  壱人
一同村     助次郎     壱人
一八日町    権右エ門   十五人
一大野     又左衛門    十人
一瀧       六郎      弐人
一高橋      長三郎    七人
一小久慈    右エ門三郎  壱人
一神蔵屋敷   弥三郎    弐人
一かぬか    雅楽助    三人
一野田      甚次郎   三人
 〆すけ人数 三百五拾九人 山
 取大工貳拾工
 延寶元年うしノ正月廿日よりと
 らノ三月十二日まで

  覚(二)の裏
ほのゝと
  あかしの
    浦の

おさぎりに
    志□そ
  舟をしそ
     思う

    尚さくたは
     □□□□
     水
     □□□□

 奉納
  馬                                                                                                                          
参考『久慈市の指定文化財』,『久慈文化財マップ』27

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