銅鰐口

名称ヨミドウワニグチ
年代慶安3年(1650)8月
指定年月日市・平成5年4月28日
解説鰐口は鈴を扁平にしたような梵音具である。
社寺堂前に掲げ、礼拝の際に鉦の緒を振って打ち鳴らす風習は平安時代からあったという。
この鰐口は、市内で最古の「鰐口」であり、宇部古舘に伝えられたものと言われているが、全体に分厚く、目、舌の出の少ない小型のもので古い型式を伝えている。鼓面は3区に分かれ、外区と撞座区の圏線は一条で、内区の圏線は幅広の(1.2cm)帯とし、突き出ている。撞座は複弁の蓮華模様であるがつぶれがひどく、中心部は無地で円形である。外区に刻銘がある。
宇部古舘は、野田氏が永正~大永(1515~27年)の頃、あるいは天正(1573~92年)の頃に使用したものと伝えれれている。
本願主「野田理兵衛忠定」は、慶安支配帳の二百二石「野田理兵衛」である。寛永13年(1636)郡山城代を勤め、正保3年(1646)郡山城代の野田宮内と同一人物と考えられる。
鋳師「千田豊後守」は、八戸市にある櫛引八幡宮の鰐口(正保3年 青森県重要文化財)の治工者「藤豊後」、あるいは盛岡城の時鐘(慶安3年)の鋳造者「千田豊後守藤正吉」と同一人物と考えられる。
銘文:刻名
    表「□(キリーク) 奉鋳立願鰐口 南部九戸郡之内 野田庄宇部古舘 鎮守八幡宮」
    裏「□(キリーク) 慶安三庚刀 (寅) 年八月吉日 鋳師 千田豊後守 本願主 野田理兵衛忠定」
参考『久慈市の指定文化財』,『久慈文化財マップ』15

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