717 小倉城主・高橋氏

Guide No.717
 小倉北区の安全寺には、「法輪山安全禅寺開基公尊像図」という作品が伝わっています。この作品は、戦国時代に小倉城主となった高橋鑑種(たかはし あきたね)とその一族を描いたものです。
 高橋鑑種は、もともと豊後国(現大分県)の戦国大名・大友氏の家臣でしたが、安芸国(現広島県)の戦国大名・毛利氏が北九州に進出してくると、毛利氏に味方しました。永禄12年(1569)に毛利氏が九州から撤退すると鑑種は大友氏に降伏し、小倉に移封されることとなりました。鑑種の死後、その跡を継いだのが元種です。元種は筑前国の武士・秋月種実(あきづき たねざね)の息子で、鑑種の養子となった人物です。元種は小倉を起点に豊前国内に勢力を拡大しましたが、天正15年(1587)に九州に攻め入った豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に降伏した結果、日向国延岡(現宮崎県延岡市)に移封されました。

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