Guide No. | 714 |
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| 交通の要地であった北九州はいつの時代にも中央政権が直接支配をおこなおうとしました。そのため戦国時代にも北九州を本拠とする大名が生まれず、周辺の大名が北九州の支配をめぐって争いました。大内氏が滅亡すると、安芸国吉田(あきのくによしだ、安芸高田市)を拠点とする毛利氏と、豊後国府内(ぶんごのくにふない、大分市)を拠点とする大友氏が北九州の支配をめぐり争いました。両者の抗争のなかで、門司氏(もじし)・長野氏(ながのし)・麻生氏(あそうし)などの地元の武家たちは勢力の維持につとめました。 |
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| Followed by the downfall of the Ouchi family, the Otomo and Mori families fought each other over the reign of Kitakyushu. Although local warriors such as the Nagano family and the Moji family strove to maintain their own powers under such a conflict, they were finally expelled. This means that there was no daimyo (local lord) originally based in Kitakyushu in this Warring States period. |
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| 大内氏灭亡后,大友氏与毛利氏争夺在北九州的霸权。长野氏・门司氏等地方武将在两者之间力争维持自己的势力。但最后这些武将都逃出此地,因此以北九州为据点的战国大名没有诞生。 |
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| 大內氏滅亡後,大友氏與毛利氏爭奪在北九州的霸權。長野氏,門司氏等地方武將在兩者之間力爭維持自己的勢力。但最後這些武將都逃出此地,因此以北九州為據點的戰國大名沒有誕生。 |
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| 오우치씨의 멸망 후 오토모씨와 모리씨가 기타규슈의 지배를 둘러싸고 싸우게 되어 나가노씨 모지씨 등 지역의 무장들은 양 세력의 유지에 힘썼습니다. 그러나, 마지막에는 기타규슈를 쫓겨나 기타규슈를 본거지로하는 전국 다이묘는 태어나지 않았습니다. |
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