日柳 燕石

じんぶつ名(ヨミ)くさなぎ えんせき
出身地香川県琴平町
生年月日(西暦)1817
生年月日(和暦)文化14年
没年月日(西暦)1868
没年月日(和暦)慶応4年

略歴・解説

香川県琴平町の豪農商家加島屋の息子。少年時代に儒学・漢詩を学び和漢に優れていた。任侠の気性があり闘士を配下におく。吉田松陰の師森田範斎が愛媛より来訪、その非凡さに「讃岐に奇傑あり」と広め、名士が来訪するが、失費重なり加島屋を売却する。32歳のとき、維新の礎たらんと大活躍を待つ。数年後同町の呑象楼に居を構える。慶応元年(1865)高杉晋作を隠匿の咎めで3年の獄中となる。戊辰戦争勃発し出獄後、木戸孝允・伊藤博文らを訪ねる。北越総督府仁和寺宮の日誌方となり、慶応4年(1868)7月北越戦争の途中、柏崎で倒れる。絶命の詩に「錦の御旗が越後に上る。毎朝口を漱いで遥か京を拝む。天皇が早く功を立てることを祈る。」(意訳)と書かれている。柏崎の招魂場に葬る。

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