高橋 忠平

じんぶつ名(ヨミ)たかはし ちゅうべい
生年月日(西暦)1870
生年月日(和暦)明治3年
没年月日(西暦)1933
没年月日(和暦)昭和8年

略歴・解説

縮行商を営む忠之助の長男、藍沢南城塾で漢字を学ぶ。困苦に耐え、親子で関東地方へ行商をする。明治29年26歳のとき大志を抱き上海に渡り、台湾・香港で事業の開拓に努める。38歳のときシンガポールっで、越後屋(呉服反物業)を創業。日本人を客とし、「現金決済」「接客態度」「店内清潔」を店員に厳守させる。大正5年、後に越後屋の支配人となる福田庫八を13歳で迎える。この頃外国人相手の販売に成功し、店も改築する。大正末年旧広小路より西本町3丁目に転居し、現喬柏園(旧公会堂)内に豪邸建築。昭和7年貿易振興会より表彰される。同年発病し帰国。公会堂・八坂プール・自宅・庭園などを町へ寄付する。昭和8年、拓務大臣から南洋発展への貢献により表彰され、さらに日本人学校に貢献したことで同校副会長から感謝状を受け、惜しまれつつ永眠。

このじんぶつの資料一覧[全3件]

件ずつ表示

PageTop